2023/06/30

⚫︎《投壜郵便では、手紙が海水に溶けてなくなってしまわないような頑丈な壜を作ることが重要だと、かつて佐藤雄一が書いていた》ということを6月19日の日記に書いた(このテキストを読み直したいのだが、載っているはずの「新潮」の「クォンタム・ファミリーズ」小特集の号が見つからない)。この、メッセージが海に溶けてしまうことを防ぐ「壜」の物質性のことを、例えばロザリンド・クラウスならば「メディウム」と言うだろう。

だがこれは、絵画というメディウムを「平面性とその限定性(フレームによって限定された平面)」と定義するような、グリーンバーグ的な先取りされたメディウムではない。ポストメディウム時代のメディウムはその制作において再発明されなければならない、と。

《媒体(メディウム)というのは、ひとつの芸術生産を基礎づける、そしてその生産のために一組みの規則を提供するもの。単純に見えても複雑である可能性がある。(…)繰り返すと、媒体というのは規則が出てくる源泉で、この規則は生産性のとっかかりになるのだけど、同時に生産性を制限するものでもあって、おかげで作品は、こういった規則そのものを考察するという行為へと送り返されることになる。》(『ART SINCE 1900 図鑑1900年以降の芸術』より)

とはいえ、この発言から読み取られるのは、クラウス的(ポストメディウム的)メディウムは、グリーンバーグメディウムから、それほど遠く離れているわけではないという印象だ。

そして、この概念をより根本的に更新しているのが、エリー・デューリングによる「プロトタイプ」だと思う。プロトタイプは、制作の中で事後的に発見されるもので、目的論的なメディウムではないというだけでなく、人工的で文化的な約定というのでもなく、自然にそこに定まる物理的な「落としどころ(落ちどころ?)」といったニュアンスが強い。

初期の自動車のエンジンは熱によって炎上しやすいという問題があり、エンジンを冷やす空冷機構の様々な形状が検討された。このように、問題解決のために多くの多様な異なるアプローチがなされることを「不安定化」と言い、その試みが落とし所として最適であると思われるある形状に収斂していくことが「安定化」と呼ばれる。この安定化した形状がプロトタイプであるのだが、このプロトタイプには、空気によって何かを冷やすという課題を持ったあらゆるプロジェクトへと開かれた潜在的な可能性(複数性)があり、様々な転用(変形)の可能性へと開かれているという意味で、再び「不安定化」しているとも言える。このように、プロトタイプには安定化(形状の持続可能性)と不安定化(様々なメッセージを内包し得る変容可能性)とが同時に存在している。

ここでは「壜」の物質性は、プロトタイプというタイプ(型)の形式性によってもたらされるものになっている。

(ぼくは、「近代絵画」のプロトタイプを示して、それは近代絵画という問題が終わった後でも他にもいろいろ使える可能性があるよ、ということを言いたいのだと思う。)