2023/09/02

⚫︎前にも書いたと思うが、今、髪を切ってもらっているのは、小学生の頃に通っていた床屋のおっちゃんの孫で、建物は建て替えられているが、同じ場所にある理髪店だ。我ながら、すごい狭い範囲で生きているなあと思う。建て替えられた理髪店は前よりもこぢんまりとしているが、中の構造は似ていて、入り口の位置も同じで、入り口から入って右手(北側)に鏡と椅子が二つ並んであって、左手(南側)に、順番を待つために座るソファが置いてある。ソファの後ろに大きな窓があるのも、以前と同じだ。ただ、以前の床屋さんは面積が一回り大きくて、髪を切るためのスペースと、待合室的なソファーのスペースを仕切るために、間に大きな水槽が置かれた台があった。

以前の床屋さんは、理容師のおっちゃんと美容師のおばちゃんの夫婦二人でやっている店で、理容室でもあり美容院でもあった。おっちゃんは亡くなったようだが、おばちゃん(今の理容師さんからするとおばあちゃん)は、昔からついているお客さんがまだ何人かいて、今でも時々、店に立つこともあるそうだ。

小学生の頃は休みが日曜だけで、そして、学生以外の多くの人もまた日曜日しか休みがないという時代だったので、日曜日の床屋さんはいつも混んでいた。髪を切るのに予約を入れるという時代でもなかったので、必ず長時間待たされることになる。週に一度の貴重な休みの日の昼間を、ほぼ丸々と髪を切るために潰さなくてはならなくて、だからできるだけ床屋さんには行きたくなかった。待合スペースに置かれた、小学生には馴染みのないマンガもあまり面白そうには思えないし、水槽の魚や、大きな窓から見える隣の和菓子屋の店先を様子を見ていてもすぐに飽きてしまう。本当にうんざりするという感じの待ち時間だったことをうっすら憶えている。「惓む(あぐむ、ではなく、うむ)」という言葉がピッタリくる感じ。

待合スペースにある子供向けのマンガ雑誌は、馴染みのある週刊の雑誌ではなく、それより分厚くてマイナー感の強い月刊誌だった。雑誌の名前は憶えていないが、おそらくそこでぼくは初めて日野日出志のマンガを読んだ。すごく強い印象を受け、恐怖というよりも嫌悪に近い感情をもって、なぜこんなものを読んでしまったのかととても後悔した。「後悔(後戻りができない)」という感情はその頃のぼくにはまだ珍しいものだ。日野日出志は子供にはそれくらい強烈だった。ただでさえ行きたくない場所である床屋さんが、さらに忌むべき場所のように感じられるようになった。

(今では、予約を入れてサクッと3、40分で終わる。)