2023/09/03

⚫︎メモ。バックビートおじさんが取り上げていた興味深い動画。榎本健一が「私の青空」を歌う。最初に手拍子を入れるのは坂本九で、坂本九は、二拍四拍のいわゆる裏拍で手拍子を打つ(榎本健一の歌には裏泊の感覚がある)。しかし、後ろにいる大勢の人が手拍子に加わると、二拍四拍だった手拍子が、いつの間にか一拍三拍の表泊に「表返って」しまう。榎本健一は歌いにくそうで、手拍子に釣られないように、手を上下させてリズムをとっている。

私の青空 エノケン 1968 白黒TV My Blue Heaven - YouTube

バックビートの「バック」は、裏拍の「裏」のことではなく、背中のことで、背中を預けるような感覚がそこにある、リズムの重心のことを指す、という。日本の音楽は伝統的に一拍目と三拍目にバックビートがあり、リズムの重心があるが、アメリカの(おそらくスイングジャズや、R &Bなどに強く影響を受けたプレスリー以降の)ポピュラー音楽では二拍目と四拍目にバックビートがあり、リズムの重心がある、とバックビートおじさんは主張する。ドラマーの北山さんという人が、それについてわかりやすくまとめた動画。

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表拍重心と裏拍重心の、どちらかが一方的に優れているということはない。しかし、戦後の日本のポピュラー音楽は、表拍重心の感覚を強く残しながら(あるいは、裏拍に重心があるということを理解しないままに)、アメリカの音楽の影響を表面的にだけ受け入れて、形だけ二拍目四拍目でスネアを打つみたいなことをして(しかしそれは形だけ合わせているだけで、表に重心が半端に残ったままなので)、どちらともつかない誤拍裏打ちのような奇妙でカッコ悪いリズムになり(それはきちんと表にバックビートがある伝統的な邦楽とも違って)、そのカッコ悪いリズム感が定着してしまったことを、バックビートおじさんは嘆く。これは、戦後すぐのアメリカの進駐軍のためのバンドから、いわゆるシティポップにまで続き、J-pop全般に広がっている、と。

リズム談話の時間 邦楽リズム史(ズンドコからなんちゃって2,4へ) - YouTube

バックビートおじさん派の人たちの言っていることはかなりやばくて、もしそれが妥当であるなら戦後の日本のポピュラー音楽の歴史の総書き換えみたいなことになるし、今まで偉大とされてきた人が戦犯であるかのような扱いに変わる。でも、聞けば聞くほど説得力があるように感じられてしまう。ぼくは自分の音楽的なセンス(聴取力)にまったく自信がないのだが、ぼくなどよりもずっと音楽に対して鋭く繊細な人の意見を聞きたいところだ。

(あと、動画ではそれほどでもないが―とはいえ動画でも「反日国」みたいな言葉を使っているが―Twitterを見ると、この人は看過できないレベルで政治的に問題のある人で、リズムとは関係ないところだが、そういうところでも既成の音楽家や音楽批評家との議論や対話が難しい感じがある。)

⚫︎よく、日本のアイドルはクオリティが低いから、たとえば韓国のアイドルのような国際競争力がないといって「日本のアイドル批判」をする人がいるが(ここで「国際」というのは事実上アメリカのマーケットのことだが)、それは理屈が変で、国際競争力がないのはアイドルだけではなく、サザンやB’zミスチルみたいに、国内では圧倒的に売れているバンド(アーティスト)でも、国際競争力がないという点ではアイドルと何も変わらない。だからこれはクオリティの問題ではなく、何かもっと根本的な「感覚の違い」があるはずで、バックビートおじさんの主張はこれをうまく説明するものとなり得る。