2023/10/08

⚫︎「すみれにはおばけが見えた」(鴻池留衣 「すばる」2023年3月号所収)をようやく読んだ。これはすごい。読み終わってしばらく呆然としていた。この作品が芥川賞の候補にすらあがっていないとはどういうことなのか、と思う。芥川賞というより「このミステリがすごい」の方が適当かもしれないが。最高(最悪)のイヤミスで、ほんのいっとき、ほんの一語すら気を許すことができないという警戒感と不信感が満ち満ちた中で、何もかもが信用できないと緊張を漲らせつつ読み進めるというスリリングさ。根っからの嘘つきで不誠実、どこまでも意地が悪く、性格も捻くれていて最高という感じ。

図と地が何回もひっくり返る。途中の記述の密度は素晴らしいが、この手の作品は、途中がいかに素晴らしくても結末次第でそれらが全部陳腐に見えてしまう可能性もあると思いながら読んでいて、そういう意味でもスリリングなのだが、最後まで読んでしばらく呆然としていたというくらいのすごいラストだった。意外なオチであると同時に、単なるどんでん返しではなく、作品がここに着地することが全ての細部にとって整合的な必然であるように感じられる。単に辻褄が合っている(伏線が回収される)ということと、内実のある必然性を感じるということは全然違う。(こういう言い方をするとネタバレになってしまうが)ロリータの側から見られた『ロリータ』、だが、さらに何重にも捻れている。

倫理や正義に誰も逆らえないような現代において、陳腐にならない密度をもった背徳(「嘘」という「毒」)を成立させる、というのが鴻池留衣の主題なのではないかと思った。超絶技巧の叙述トリックミステリみたいな小説だが、重要なのは、そのすごい「技巧」よりもさらに「悪意」や「毒」の方が上回っているというところだ。技巧のための技巧ではなく、この強烈な「毒」を成立させるために必要だから、この技巧がある。「フェミニストのままじゃいられない」(「文學界」2021年12月号)をまだ読めていないが、読んでいる鴻池留衣の中では一番すごい鴻池留衣で、「わがままロマンサー」もすごかったが、その何枚か上をいった感じ。

「嘘」とは何か。「嘘」こそが真実を語り、しかし「嘘」は現実(現実が「現実」であるという信頼)を崩壊させる。あるいは、「嘘」こそがその人の魂の核であるような存在がある。こう書いてしまうと陳腐だが。

(ある意味、麻耶雄嵩を想起させるが、麻耶雄嵩より「大人」という感じ。ここで大人とは、成熟しているという意味ではなく「汚れている」という意味。)

(追記。ウェブで読める鴻池留衣と町屋良平の対談を読んでいたら、鴻池留衣が、《俺、実は去年、私生活で色々あったんですよ。それで、今度、発表する新作ではそのことをそのまま書いたんです》と発言していて、対談の日付の数日後に掲載誌が発売されるので、その「新作」が「すみれにはおばけが見えた」だと思うのだが、この小説のどこが「そのことをそのまま」なのかと思うのだが、鴻池留衣にとっては、このような形であることこそが「そのことをそのまま」なのだろう。で、それが「小説」というものなのだな、とも思った。)