⚫︎『心が叫びたがってるんだ。』をU-NEXTで観た。超平和バスターズ(岡田麿里・長井龍雪・田中将賀)には苦手意識があったが『空の青さを知る人よ』がとても良かったので観てみたが、これも素晴らしかった。岡田麿里の脚本は精神分析的な傾向が強いのだが、この作品は特に精神分析的であり、トラウマ(トラウマによるヒステリー症状)からの寛解の過程がそのままストーリーとなっており、その精神分析的に精緻でありすぎるところがすごいとも言えるし、そこが、「わかるけど、うーん…」となる人もいるかもしれない。
(あと、作品が終わって高揚状態にあるところで、乃木坂の、というか秋元康によるあまりに凡庸な詞の曲が流れてきて白けてしまうという、アニメのタイアップ曲が作品と合わない問題は深刻だと思った。ギリギリのところで紋切り型から逃れることで救われる話が終わった後に、再び紋切り型の方へと引き摺り下ろされるかのようだ。)
⚫︎最初に、教師が「ふれ交」の委員を指名した、その四人の人選でこの物語の方向性が大筋で決定されてしまっているといえて、教師は、この物語を成立させる場を設定する作者か精神分析家のような位置にいて、この点をどう考えるのかはけっこう難しいところだが、そこはまずよしとして考える。
⚫︎ヒステリー症状とは、ストレスやトラウマなどが原因となって、身体的にはどこにも異常がないにもかかわらず身体的な機能が失調することで、喋れなくなるという症状は現実にもわりとあるのだろうと思う。ここでは、主人公の成瀬が子供の頃に言った無自覚な言葉が家庭を崩壊させてしまったことで「喋ること」が罪として封印される。「ぜんぶお前のせいだ」と父は言うが、いやいや「お前=父」のせいだろうという話で、父の浮気という「性的なもの」が罪の根底にあり、母から「それについて話す」ことを禁止される。だからここで「喋ること」の禁止は「性的なことを喋ることの禁止」で、というか「喋ること」は無自覚ななままに「性的なことを喋ってしまう」ことになるから禁止される。「言葉は(そうと意識せずに)人を傷つける」「言葉は(そうとは知らずに)性的なことを喋る」。成瀬はこの二重の意味で言葉を封印される。ここがこの物語厄介なところで、この厄介さをちゃんと描き、かつ解決しているところが優れているのだと思う。
この物語は途中まではとても「いい話」だ。喋ることができない少女が、音楽という媒介を通して自己表現を回復していく。「歌う」ことはただ「喋る」だけとは違って、メロディやピッチやリズムを意識することで、運動感覚、体性感覚により深く広く働きかけ、また同時に「歌った(出力した)」ものを耳で聴いて確認するという、フィードバック回路もただ「喋る」ときよりも強く広く意識される。そのように、関わる神経回路のネットワークが広がることで、喋ることを阻害していたネットワークの欠損部分が、それ以外のネットワークの複線的、並列的な迂回路を通じて補強され、通電されることはあり得るだろう。
それをサポートするのが、音楽に詳しく、かつ、成瀬とも近い境遇にある同級生の坂上と、彼が所属するDTM研究会だ。成瀬の書いた「心の声」のテキストは、すでにある過去のミュージカルやクラシックの曲のメロディを「借用する」ことで表現形(声)を得る。まずは「既にあるもの」が「わたしの心」を表現することを助けてくれる。これは、文化的な蓄積や教養が、いかに「わたしの生」において重要なのか(わたしが「わたしの生を生きる」のに必須なものであるのか)という話でもある。
「ふれ交(地域ふれあい交流会)」の委員たちは、それぞれが抱えている困難を媒介として、相手の困難と同調し、それによって互いに結びつく。それ自体は平和で並列的な関係だが、しかしそこに成瀬・坂上・仁藤の三角関係という恋愛的、性愛的な要素が否応なく入り込むことで「きれいな話」では収まらなくなる(成瀬は、過去からの因縁である坂上と仁藤との関係の間に、後からやってくる)。坂上にとって成瀬は、自分と似た境遇にあり、似た困難を持つと感じていて、その共感によって、彼女へのサポートへとのめり込む。ここにあるのは並立的な意識であろう。しかし成瀬にとって坂上は、封印されていた自分の「心の声」を、メロディに載せることによって解放してくれる特別な能力を持った特別な(仰ぎ見る)存在であり、自分を檻から救い出してくれる王子様として映る。この時に生じる恋愛感情は、もともと彼女の持っていた「王子様」への幻想を通じて、言葉を封印していた、そもそもの原因である「性的なもの」につながっている。
母と父の関係の破綻は「性的なもの」による。その破綻のトリガーとなったのは成瀬が「性的なこと」を(それとは知らずに)語ったことであり、言葉=声の封印は、性的なものへの封印でもある。だから、(「歌」を通じて)声が徐々に解消されてくるに従い、性的なものも解放されてきて、坂上への恋愛感情がいわば「解禁」される。この恋愛感情は、もともと彼女が持っていた王子様という幻想を介して構成されている。そしてこの盛り上がった恋愛感情は、坂上と仁藤との関係を知ることで破裂する。これにより「歌」によって「声」を回復するという回路が閉じられてしまう(この回路を開いていたのは「王子様」だったが、それは自分にとっての王子様ではなかったから)。
ここで、幼い成瀬の声を封印した幻想の「卵の王子」が再出現する。ホワイト王子(音楽の王子=坂上)を得られなかった成瀬は、彼女から声を奪ったブラック王子を召喚するのだ。かつて卵の王子は、世界の破綻を防ぐためにといって、罪である(とする)成瀬の声を封印したが、ここで王子は(既に性的な存在となってしまった)成瀬への封印を解き、彼女に声が返される。だが、卵の王子によって封印が解かれるということは、世界の破綻を防ぐものが解かれるということで、それは世界の破綻を意味する。だから成瀬はここで、声=言葉を獲得することと引き換えに、今まで築いてきた同級生たち信頼関係の全てを放棄して、トラウマの現場であるホテル=お城の廃墟に閉じこもってしまう。
そこへやってくるのが、自分を救ってくれなかったホワイト王子=坂上だ。成瀬は、坂上が(自分のものではない)ホワイト王子である限り、彼の言葉を受け入れないだろう。だがここで声を回復している成瀬は坂上と対話し、坂上に「傷つける言葉」を浴びせかけることで、ホワイト王子から、ただの坂上へと降格させること(幻想の乗り越え)に成功する。この降格により、目の前にいるのはもはや王子ではなくただの坂上となり、しかし、(たとえ恋愛が成就しないとしても)ただの坂上こそが自分にとって重要な存在であると認め、そして、ただの坂上の背後には、協力してくれた同級生たちがいることが思い出され、そのことによって世界の破綻は回避され、成瀬は再び、同級生たちとの関係の中に帰還していく。
(「歌」によって封印が解かれかけ、しかし「性的なもの=王子様の幻想」の挫折がそれを失敗させ、自暴自棄になって世界を破滅させようとするが、それと引き換えに声を取り戻し、その取り戻した声=言葉によって対話して「王子」を降格させ、それにより相互的関係性を自覚し、「歌」で築かれた関係に回帰する。彼女は、無垢な媒介でもはやはなく、ただのお喋りとして現実に着地する。この、曲がりくねって複雑な過程が、成瀬には必要だったことが丁寧に語られる。)
言葉を失った成瀬の姿は、言葉がない分、実際以上に無垢でひたむきに映ってしまう。しかし、成瀬はもともとお喋りであり、卵の王子から言葉を取り戻した彼女は普通に口が悪く、人を傷つけるようなことも言う(「俺を傷つけていい」という坂上の言葉に促されてではあるが)。もともと彼女が持っていたと思われる「口の悪さ」こそが彼女を救ったのだとも言える。ここでは、無垢な無口さよりも、饒舌な口の悪さ(ブラック成瀬)が肯定される(坂上は地味にしかしガチに凹むだろう)。
人を傷つけることを言ってもいいし、自分のために必死で協力してくれた同級生たちに迷惑をかけるようなことをやってもいい(同級生たちも、ただ成瀬のためだけにやっているのではなく、成瀬に協力するという体で、やりたいからやっているはず)。むしろ、そこから関係がはじまるし、それによって関係が変化し、深まる。非常に繊細な過程と描写を重ねた上で、そこに至っていることが、この作品の重要なところだと思われる。他人の「自分らしさ」を尊重し、コミュニケーションの中で否定的なことを言わず、他人を傷つけないように自己をコントロールし、優しさを重視する。そのような傾向に異論は一ミリもないし、自分にそのような配慮が足りないと日々反省しもするが、しかし同時に、そのような配慮が、この作品で成瀬が陥った失語的な状況につながってしまうのではないかという危惧もある。