2023/10/30

⚫︎さらに、『心が叫びたがってるんだ。』についてもうちょっとだけ。

⚫︎成瀬はなぜ上演に間に合わなければならないのか。ミュージカルの制作と上演準備、そしてお城の廃墟での坂上との対話によって、既に成瀬の「呪い」は解かれている。それでも、彼女が上演に合流しなければならないのは、(1)同級生たちとの関係を回復し、その関係性の中に再び入っていくためであり、(2)上演中の物語によって表現されている「呪い」の中にいた時の自分を自分の中に再発見して、改めてそれを肯定するためであると、昨日の日記で書いた。しかし、理由はもう一つあるのではないかと気づいた。

それは、上演を「母」に見せるためだ。成瀬が書いて、成瀬たちが準備した上演を見せるだけでなく、成瀬が成瀬自身を、失われていたはずの「声」を用いて演じているさまを母に見せなくてはならない。成瀬の「呪い」は父からもたらされたものだが、成瀬と同様、母もまた父(母から見れば元夫だが)からの「呪い」の中にいる。成瀬家の母-娘関係そのものが、父(元夫)の「呪い」にかかっている。もっと言えば、母は、自分が父(元夫)からの呪いにかかっていると同時に、自分自身、父が娘にかけた「呪いの一部」としての役割を負ってしまっている(最初に娘の口を封じたのは母だ)。だから母はまず「自分が、父から娘へかけられた呪いの一部になってしまっている」という呪いの中にいることを自覚し、その上で、その呪いから解かれなければならない。そのために、成瀬が、自分の身体と自分の声を用いて、自分の物語を演じるところを「母」が見ることが必要となるだろう。

これは、母と娘との直接的な対話ではなく、フィクションを介したコミュニケーションだが、そこでフィクションの娘役を演じるのが娘自身であることで、物語の「内容」だけでなく、娘が「声」を取り戻したこと、さらに、自分の物語を自分自身でフィクションとして語るための「距離」を持ち得たことを知ることになる。つまり娘の呪いは解かれていることを、(妙な言い方だが)フィクションを介することで直接的に知る。

娘の呪いが解かれていることを知り、それによって「自分が娘の呪いの一部となっている」という母の呪いも解かれ、そうなれば父(元夫)から母への呪いも限りなく薄いものとなるだろう。

⚫︎この物語の中で、副産物のような、というか、棚からぼた餅のような効能を得ているのが田崎だろう。彼は、行きがかり上で巻き込まれるように「成瀬の物語の上演」に関わるのだが、その、他者の目的への奉仕的な行為を通じて、結果として、同級生たちと自分との関係のありようをやり直すことができるのだし、野球部の後輩との関係や、野球に対する取り組み方までもを再検討し、仕切り直すこともできる。(坂上と仁藤も、関係の回復の手がかりを得る、という効能を得ているが)成瀬による「物語の上演→呪いの解除」の過程を支援することで、目的の副産物として最も「良い結果」を得たのが田崎だろう。ラスト近くの唐突とも見える田崎の行為(ここではあえて書かないが)も、それを考えると納得がいく。

⚫︎そう考えると、この作品は、主要な登場人物のほとんどに「良い結果(良い変化)」を与えていることに気づく。それも、嘘くさかったり、無理矢理にだったりではなく、説得力のある形でそうしている。