2023/11/20

⚫︎「十年後」(長澤沙也加)について、もうちょっと。

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⚫︎書き出しの最初の段落を読んだだけで、これが只者ではない小説であることが感じられる。

ニルバーナの、赤ちゃんがプールで泳いでいるジャケットのアルバムを貸してくれた男の子は、ロミに顔が似ている女の子と後に結婚するが、そのときはロミの肩を掴んだ。廊下の、階段の手前だった。

《アルバムを貸して「くれた」男の子》とあるので、この文は、アルバムを貸して「もらった」ロミの視点から書かれているように、まず思う。だがついで《…男の子は、ロミに顔が似ている女の子と後に結婚するが…》と続き、いきなり、未来から現在を見ているような先取りされた視点へと視点が移動し(そしてそれは、未来のロミの視点でもないだろう)、それがまた《そのときはロミの肩を掴んだ》と、今、肩を掴まれているロミを近くで見ている視点であるかのような言葉で着地する。一旦、遠回りしてから戻ってくるというか、近くには戻ってくるのだが、「掴まれた」ではなく「掴んだ」となるので、最初に予想されたロミの視点とはズレて着地する。異なる視点が接木されたかのように接続されている。さらに言えば、《ニルバーナの、赤ちゃんがプールで泳いでいるジャケットのアルバムを貸してくれた男の子》という言い方は、貸してもらったときよりも少し後になってからロミがその事実を説明しているようなニュアンスだが、《そのときはロミの肩を掴んだ》という言い方は、「そのとき」と言っているから過去を思い出しているとも取れるが、「肩を掴んだ」という行為の現在性が際立つような表現に見える。「アルバムを差し出した」ならば「行為」的だが、「貸してくれた」となると直接的な行為というより事実の記述で、それに比べて「掴んだ」という言い方の行為性の強さが現在を感じさせるのだと思う。つまり、少し前の出来事の説明→遠い視点からの記述→行為の現在性の発現という、(視点だけでなく)機能や時制としても異なる三つのものが一つの文に詰め込まれ、次々と現れている。

また、この文で示される、(男の子は)「ロミにアルバムを貸した」「将来、ロミと似た女性と結婚する」「ロミの肩を掴んだ」という三つの事実の間の因果的関係性が、この文を読んだだけの時点ではよくわからないまま開かれている。だから、時空や因果が錯綜した塊を、それ自体の充実を感じつつも、腹に落としきれないまま次に進むことになる。そして次には「肩を掴む」行為が行われた場所の限定が手短に置かれる。ここでの腹に落ちなさが、その先を進んでいく力となる。

最初の段落でガツンとやられたあと、小説は、ロミという人物に関する、のらりくらりとした、焦点を結ばないような記述がしばらくつづく。先が見通せないというか、角を曲がるまでその先が予測できないような記述を読んでいくうちに、最初の段落で問題になっていることは「アルバムを貸してくれた」ことよりもむしろ「肩を掴んだ(掴まれた)」ことの方だということがジワジワわかってくる。この、決して一直線にではない「わかり方」が面白い。《高校に入り急に男の人を気持ち悪いと思うようになった》と書かれるような、「自他の身体が性的なものとしてあることへの違和感」は、ロミという人物において小説の最後まで持続するが、それはあくまでも喉に刺さった小骨のようにあり続けるのであって、この小説の主題というわけではないだろう。

⚫︎この小説に書かれている主なことは、過去の方向にも未来の方向にも長いスパンで伸びる時間が、しかし線的にではなく、複雑に錯綜した形で織り込まれている「家族」という場に現れる時間のありようだと言えると思うが、しかしその中心にいるロミという人物は、「一人で歩いている」という未来しか想像できない、将来自分が「家族」を作ることが想像できないというような人物だ。彼女は基本的に男性にあまり興味がないように見える。しかし、愛想笑いという意識もなく、ただ自然に(というより、自動的に)笑っているような彼女の笑顔にヒルは惹かれる(ヒルは、ロミの笑顔を自然な笑顔として受け取り、マユリの笑いを嘲笑のように受け取る)。だがロミとヒルとが互いにわかり合えるようには思えない。ヒルはむしろ、マユリと深くわかり合える可能性がある。それでもヒルはロミに惹かれ、マユリとは決定的に行き違う。いわゆる三角関係というものとはかなり違う、三人の人物の行き違いが、この小説を縦軸のように貫いている。

ヒルとマユリは、とても深いところで通じ合っているにもかかわらず、決定的に行き違う。二人は、互いにわかり合っているのに、「わかり合っているということ」を「知ることができない」ままである。次の部分を読んだ時に、小説はこういうことが書けるから素晴らしいのだと思った。

(「神の視点」にあるから書けるのではなく、小説における具体的な記述の接合や運動のありようによって書ける、のだと思う。)

(ロミ、ヒル、マユリの三人が、放課後、家庭科室で語り合ったあと、時間が遅くなったので帰る、という場面。)

 廊下に出て、各々教室からコートやらマフラーやらカバンを取り、窓の外は完全に闇に包まれ先が見えない。三人の視線は闇に吸い込まれ、ガラスに反射した蛍光灯の光の下でぼんやりと三つの顔が浮かんでいる。「外が想像していたより暗い」という意味の言葉を三人はそれぞれの語彙と表現で繰り返し言いながら校舎を出て自転車置き場に向かう。

 ヒルとマユリは、そのときの闇の深さを十年後、同じ日ではないがそれぞれに夢で見る。その闇が、高校時代に三人で見た闇だとは気づかないし、ヒルはマユリが、マユリはヒルが、同じ闇の夢を見たことを知らないし、誰にも話さないし、夢の内容もすぐに忘れてしまう。