2023/11/19

⚫︎noteで「十年後」(長澤沙也加)という小説を読んだ。これは素晴らしかった。この作家の小説は以前「私鉄系第三惑星」というのを読んで、これも面白かったが、そこからさらに一歩も二歩も踏み込んだ大きな飛躍があるように感じた。多くの時間・空間が複雑に畳み込まれている非常に濃密で優れた小説だと思った。

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多数の異なる空間、時間、視点人物を融通無碍に行き来する自在な語りで語られるが、大きく括れば、前半は、高校の家庭科室での、ロミ、マユリ、ヒルが語り合う場面、後半は、ロミとヒルがショッピングモールでデートする場面と言えると思う。ただし、この大雑把な括りではとらえられない大きな逸脱があり、その逸脱のあり方こそがこの小説の魅力だと言える。前半部分を読んでいる時は、面白いけど、やや微妙なところもあるかなあと思っていたが、後半部分ですっかり心を掴まれた、という感じ。

後半部分で、それまでは回想的なエピソード上の人物でしかなかったキミカが唐突に前面に出てきて、この語りの逸脱がそのまま小説のクライマックスとなる。前半で、ロミの視点から、その家庭の幸福そうなイメージが羨望をもって語られるキミカだが、後半では、その家庭がゆるやかな崩壊の兆しをみせていて、その崩壊のただなかにいるキミカが、ショッピングモールのフードコートからの青い空と雲を見て、「あの雲の下まで行ってみたい」と、母親を置いてベビーカーの赤ん坊と共に外に出て、歩き出す。

この小説は、一見、とりとめもなく視点が移ろっていくようにみえながら、音楽的な主題の反復と展開があり、それによってロミ、マユリ、ヒルという人物像とともにその家族のありようが的確に描き出され、そして「家族」とはつまり時間の幅であり、それは「死者」のイメージをも含んだ過去であると同時に、登場人物たちの未来へと投射されるものでもあるということが、まさに自在に揺れ動く筆致によって示される。

(登場人物は高校生、と中学生で、自立以前のその年代の子供は否応もなく「家族のなかに組み込まれた」ものとして存在しているだろう。)

時間の幅として、ある意味で圧縮されたデータベース的に存在する「家族」という厚みのなかから、ここでキミカは、突出した「現在」として、一人で、というか、赤ん坊というひとつの重たい「責任」とともに、歩き出す。後戻りのできない一歩を、風通しのよい幸福な場としてあった家族に陰りや疲労のみえはじている、そのただ中で、踏み出そうとする。この、ふいに現在が突出するような場面で、完全に「やられた」と思った。

(その歩み出しは、不意の腹痛=便意によっていわば挫折するとも言えるが、この場面でキミカが一時、便意も忘れて立ちすくみ、《一体これは、どこから始まったことなのか》と呆然となるところでは、ここにまさに「生の感触」が掴まれていると感じた。この場面に限らず、この小説では「これは生の感触そのものだ」と感じられる描写がいくつかある。)

その姿は、自分の未来の像として「一人で歩いている」というイメージしか持てないロミと重なる。ただしロミのこのイメージは、具体的な未来ではなく、突出した現在でもなく、時間を越えて、ロミをロミたらしめている本質のようなものとしてある感じ。

ここに、ロミではないが、ロミと似ている女性と結婚するという、具体的な未来が描かれるヒルとロミとの相容れない点があらわれていると思われる。ヒルは、五、六歳の時に時空を超えてロミと出会っており、また、未来においてロミと似ている女性と結婚するのだが、それでも、今、ここにある、「一人で歩いている」というロミの本質とは擦れ違いつづけることになる、のが面白い。

話題が合う、共感できる、という意味では、ヒルとマユリとの間にはあきらかな接触点がある。高校の時に一緒に見た同じ「闇」を、十年後に共に夢にみるということを考えても、二人の精神のつながりの深さはうかがえる。しかしそこにも齟齬があり、ヒルは、ロミの方に、なんとなく親しみを覚える。しかしロミともすれ違う。

(ヒルが「腹痛」によってマユリを強く拒絶する場面は、強烈で、とても痛ましい。)

また、マユリ、およびマユリの母によって、この小説にもたらされるものもとても重要だと思う。彼女は、三人(四人)の主要な人物のなかで、歴史や時間の推移を最も明確に意識しており、たとえば、川にある小山の生成過程を意識していたりする。この時間感覚(時間認識)は、おそらくロミとは共有不能であり、ロミの世界には存在せず、しかし、ヒルとならば共有可能であるように思われる(ヒルの母もまた、「死体」のイメージを具体的な歴史のなかで刻んでいる)。死者に対する認識にも、二人は共通するところが多い。しかしそんなに近いのにもかかわらずヒルとマユリはそれでも相容れないと言う痛ましさ…。

ずっと一人でいるロミに対して、十年後のヒルには、ロミに似た妻と、子どもがいる。死や死体のイメージを多く含んだ小説だが、それが、書き出し(ニルヴァーナのジャケット)と終わりにある「赤ちゃん」のイメージ(ルイ、ヒルの子供たち)で挟まれる。