2020-10-16

●「追いつかれた者たち」と同時に新潮新人賞となった「わからないままで」(小池水音)。この小説には固有名が出てこなくて(おそらく唯一出てくる固有名がソン・ガンホだろう)、例えば、同じ人物が場面に合わせた関係性によって、その都度、男、父、弟、夫などと別の指示語で呼ばれる。人物はいつも相対的な位置関係のなかに置かれていることが示され、そのことが、小説の記述をたちあげる基本的な態度と調子を決定しているように読める(固有名より先に関係があり、出来事があるということがとても重要だ)。とはいえ、主な登場人物は、父、息子、(父の)姉、母、と、あとは行きずりの女くらいのものだし、小説の大半は父か息子の視点からの記述なので、人物を同定がややこしいということはない。

大半が父と息子の視点であり、一部に母からの視点があるこの作品で、ただ一場面だけ、(父の)姉からの視点で描かれるところがある。この場面がとてもよくて、この小説はこの場面によって支えられているのではないかとさえ感じた。

(行きずりの女の視点もちょっとだけあり、これもまた印象的なのだが。)

(父の)姉は、とつぜん自ら命を絶っており、その原因はよく分からない。そのことによって、父は一生、姉という存在(姉の死)にとらわれつづけて生きることになる。つまりこの小説において、姉は解けないと同時に避けられない謎(瘤-結び目)として存在している。その、謎であるはずの姉からの視点が、ほんの一時、小説の内部に差し込まれている。その場面で姉は、自分と同じ喘息をもっている弟の発作を前にして、深く同情し共感を示している。自分と弟はほとんど同じ苦しみをもち、ほとんど同じものを見ているのではないかとさえ感じている。自分と弟とは交換可能なのではないかというくらいに理解を示している。読者はこの場面を読む。

しかし一方、弟にとって姉は解くことのできない問いであり、謎でありつづける。弟は姉への態度について後悔し続ける。読者は、姉の弟に対する深い愛情と理解が示される部分を読んでいるが、弟の視点からはその場面をみる(読む)ことはできない。勿論この理解と断絶の非対称性は、父と息子、夫と妻、母と息子の間にもあるだろう。だとしても、理解と断絶の非対称性が最も鮮やかに際立っているのが、姉と弟の関係においてであり、この際立ちによって小説が引き締められているように感じる。そしてそれを成り立たせているのが、たった一回だけ登場する姉の視点だ。