2024/02/06

⚫︎「透明性―虚と実」(コーリン・ロウ、ロバート・スラツキイ)に書かれたル・コルビュジエのガルシュの住宅(ヴィラ・シュタイン)についてまとめているとき、『見えがくれする都市』(槇文彦・他)で、吉島家住宅を例に、町屋の表層について書かれた部分を思い出していた。以下、同書第四章「まちの表層」(大野秀敏)、二節「薄い平面とすき間」から引用。

《吉島家住宅を例に、もう少し詳しく町屋の表層を見てみよう。まず敷地境界には幅四〇センチほどの水路があり、ほぼその真上まで大屋根の軒が突き出ている。一方、母屋の壁面はそれから一メートル程後退している。その壁面には出格子が付いている。また、水路との間には駒寄が置かれ、その上に庇が出ている。この住宅の表層は少なくとも四つの並行な面からできており、その一つ一つが透けていて、どこから住宅の「内」なのかはっきりしない。》

下の写真が吉島家住宅の表層で、そこに、記述通りの四つの面(層)を書き入れてみた。

ただし、正確には、壁面のもう一つ奥に、玄関口の平面があるので、五層ということになる(この五層目だけが「透けて」いない)。

(追記。よく見ると、中間的な庇による、もう一つの層・面があることがわかる。)

ここで生じている「透け」は、透明な物質を用いることで起こるのではなく、虚構的、仮想的な面を重ね合わせていることで起こっているという意味では「虚の透明性」的だが、この面の重なり(透明性)においては、顕著なコンフリクトが起きていないという意味では「実の透明性」的だとも言えるのではないか。