2024-09-25

⚫︎なんか悔しい。いつか自分がやりたかった(いや、過去形ではなく未だ継続的にやりたいと思っている)。

natalie.mu

三好銀は、鴨川つばめに次いで生涯で二番目に好きな漫画家だ。『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(響文社)というアンソロジー本に、「突端・行き止まり・迷路・穴・模造/『海辺へ行く道』シリーズの岬的空間性」という論考を書いています。以下、引用。

『海辺へ行く道』シリーズの作品世界は、やや不器用な描線で描かれた、抽象的で、乾いていて、硬質な、どちらかというと形式主義的な傾向にあると言えます。しかし、その抽象性のなかに、性的な猥雑さや、人の心に巣食う悪意や怖いくらいの執拗さ、裏社会の恐ろしい闇の部分などが、不思議なバランス(アンバランス)で、チラチラと顔を覗かせます。そして、作中に一種の「秘密」のような感触で現われる、性的な生々しさや裏社会の恐ろしさ(悪や暴力の感触)、粘着的な心のあり様は、リアリティがあると同時にどこか浮世離れしているもので、濁ったり、爛れたり、湿ったところがなく、その生々しさが常にどこかがずれているような乾いたユーモアへと砕かれ、転化されていくのが魅力的です。物語的にも、自律的で幻想的な世界内でシュールな話が展開するように見えて、ところどころ下世話な、現世的な空気が混じり込んできて、統一された抽象度が持続されているというより、ふらふらした感じでさえあります。上品さと俗っぽさの混じり具合(混じらなさ具合)こそが面白いのです。

この作品には、人工性や模造性(類似する物たちの識別不能性や入れ替わり)とスケールの可変性への強いこだわりがあり、空間への独自の感覚、迷宮性、形態的な歪み、複数の空間が非意味的、非距離的に短絡して繋がってしまう感じなどが多くみられます。人と人、人と物、人と猫との間の、距離や関係性もまた、そのような空間と同様に、距離が遠いとも思えるところに、誰にも分からないような秘密の短絡的通路が開かれ、結ばれていたりします。そして、これらの特徴が最も端的に表れているのが、A氏と呼ばれる謎の人物が所有している、海に向かって突き出した場所に建つ、海へと開けた部屋のある二階建ての建物であると言えます。

《『海辺へ行く道』シリーズでは、地元に定着している人たちと、外からやってきた人たちとの僅かな接触が描かれる場合が多いと言えます。外からやってきた人にも、ただ通り過ぎる人や、しばらく滞在してすんなり去ってゆく人もいれば、行き止まりに追い詰められ、なにかしらの飛躍(あるいは破滅)を強いられている人もいます。しかし、ただ通り過ぎるだけの人であっても、外からこの場所へやってくる人のほとんどは、なにかしらの「秘密」を抱えているようです。

地元のA市に住む中学生の南奏介という人物が主人公と言えますが、この作品が彼の物語だとはとても言えません。彼が主人公だと言えるのは、他の登場人物に対して比較的登場回数が多いということと、美術部員で模型の創作が得意であることにより、この作品の重要な主題の一つである「模造」と深くかかわっているという二点からだけです(実は、奏介以上に重要な裏の主人公とも言うべきテルオという人物がいるのですが、彼はある事件で高校を退学になり、地元を離れて東京で保護観察付きの生活をしていて、不在であり、そのことによって存在感を示しています)。この奏介という人物は、祖母だと言えそうな年齢に見える女性と二人暮らしのようなのですが、このA市という土地には、子供と年寄りばかりが目立ち、それ以外の年齢の人の数が極端に少ない(というより存在感が薄い)ように感じられます。

そして、この子供と年寄りばかり目立つ土地に「秘密」を抱えてやってくる人が滞在する場所として代表的なのが、A氏のもつ、海へと突き出た二階屋です。A氏は美術商を営んでいるのですが、如何わしい仕事にも足を突っ込んでいるようで、仕事のためなのか、何者かからの逃亡のためなのか、この家にはなかなか居つかず、不在が多いようです。そこにまず、かつてA氏に才能を認められながらも、今は絵を描くことができなくなってしまった和香子という女性が滞在します。この女性もまたわけありのようで、パートナーの男性が裏社会の人物で、彼女には、そのパートナーの手下である若い男性が見張りとして着いています。パートナー曰く「和香子はほっとくと死んじゃう」から、はりついていろ、と(「遅いランチタイム」)。

海に向いた方向のサッシを開けると視界にはただ海面だけが広がり、まるで海に浮いているようにしか思えないその二階の部屋には、他にもさまざまなわけありの人物が滞在したり、訪れたりします。ただし、A氏の二階屋とそっくりな立地の建物がこのA市には他にも複数存在するらしいので、作中でその都度現れる「海に浮かんでいるかのような二階の部屋」が必ずしもA氏の家であると特定することはできないのです。たとえば、A氏と同業者であり、また同様に如何わしい仕事にも手を出している仲間でもあるらしい高原という女性もまた、A氏の家とは別の場所ですが、それとそっくりな立地の、その二階とそっくりな部屋を事務所として借りています(A氏の家は一階、二階ともA氏の所有のようですが、高原という女性は二階のみを借りていて、一階は別の契約で賃貸しているようです)。当初は、読者だけでなく、主人公の奏介やその友人たちもまた、この二つの異なる建物を同一視してしまうほど、二つはそっくりなのです(「夏至・みはらし小路の図」)。

また、イラストレーターをしている都落ちした女性が住み、大型船で海上に何か月も監禁されるようにして目的不明の労働をさせられているコウという男性が訪れる部屋もまた、A氏の家の二階の部屋にそっくりなのですが、この部屋はひどい安普請で、建てつけも良くないように描かれているので、(お金は持っているらしい)A氏の部屋と同じではないようにも思われます(「工場船と冬のきのこ」)。さらに、ふらっとA市にやってきて、来歴も不明で無職でありながらも、半年分の家賃を先払いすることで「その部屋」に住み着き、「かなり稼いで金持ち」で「なにかもの書きたいんだけどね」などと言いつつ、得体の知れない何ものかから追われているようであるケンという男性の住む部屋もまた、A氏の部屋と同様に海に浮いているかようでありながら、サッシの形態や床の模様が異なっているので、A氏の部屋とは違うのかもしれません。しかし、サッシや床の模様くらいなら交換することも可能でしょうから、違うと確証することもできません(「どこかに穴でもできたのかい」)。

以上のような、同一であり、かつ、同一ではないような、A氏の部屋に代表されるような「海へと突き出た」「海に浮いているかのような」二階の部屋は、わけありの人たちがそこへと追い詰められるように促され、辿り着いた(複数の)半島の突端であると言えます。》