⚫︎昔書いた青木淳悟論をnoteで公開しようと思ったが、原稿のテキストデータが失われているので、掲載誌をスキャンしてPDF化し、それをPCの画面に大写しにして、スマホで写真を撮り、撮った写真をテキストスキャナーにかけてテキストデータ化する(それをグーグルドキュメントに順番にコピペしていく)。外国語の本を読む時も、この過程を踏んで紙からテキストデータにしたものを複数のAIに翻訳してもらう。
しかし、テキストスキャナーの日本語の読み取り精度はとても低いので、noteにアップする完成データとするためには、結局は、最初から最後まで掲載誌と付き合わせて確認しなければならない。それでも、キーボードで全部打ち直すよりはずっとずっと楽なのだが。
(掲載誌を直接写真に撮ってテキストスキャナーにかけてもいいのだが、27インチのPC画面に大写しにすることで、文字を、明るく、くっきり、大きくすることで、多少はテキストスキャナーの読み取り精度が上がる気がする。)
そのようにして昔書いたものを久しぶりに読み直してみて、むちゃくちゃ影響を受けているのだなあと改めて思った。初期の青木淳悟を読み、さらに青木淳悟論を書くということを通じて、『セザンヌの犬』に収録した小説たちを書くための基礎体力を準備していたのだと思った。