03/12/01

●昨日、『容疑者の夜行列車』(多和田葉子)について書いたときに使った「拍動」という用語について、湯本裕二氏からメールで指摘を受けた。湯本氏によると、拍動とは既に抑圧をはさんだ「強迫反復」のことで(つまりそれは「主体」に起こることで)、主体形成以前の、世界(以前)と主体(以前)との間にある「震え」のようなものならば「振動」とする方が正確なのではないか、とのこと。このような精神分析の用語を正確に把握するのは難しい。特にぼくは語学が出来ないので。なんでも、欲動はフランス語では「パルシオン」だそうで、この単語の形容動詞の訳語としては「振動」の方が妥当であると。ぼくは、樫村晴香氏の論文や湯本氏のエッセイなどを読んで、主体以前にある原初的な反復する運動のことを(その漢字のニュアンスなどもあって)「拍動」というのだと思っていたのだけど、樫村氏の論文にも、ちゃんと「抑圧物の拍動」と書かれているそうだ。ただ、何故わざわざ生齧りの「拍動」なんていう使い慣れない言葉を使ったのかというと、「振動」と素直に書いてしまうと、それは普通に日常的に使う言葉なので、主体と世界とが分離する手前の、その中間にあるような原初的反復=皮膜の振動というニュアンスが伝わりにくくて、分かりにくいのではないかと思ったからなのだ。と言うか、昨日ぼくが書いたエクリチュールの運動性というのは、考えてみれば、半ば、世界と主体が分離する以前の中間にある皮膜の振動であり、しかし同時に言語によって可能になった「一定の足取り」のこと(つまり「拍子=リズム」)でもあるので、つまりエクリチュールにおいてそれらが通底するという意味も含んでいるので、、正確ではないかも知れないけど、とりあえず「振動(拍動)」というように訂正しておくことにする。

●「日本映画専門チャンネル」というのがあるそうで(ぼくは観られない)、そこの年末企画の「映像作家のBEST OF ATG」というので、9人の映画監督がそれぞれATGの映画からベストの1本をセレクトしている。古厩智之相米慎二(『台風クラブ』)を、万田邦敏増村保造(『音楽』)を選んでいるのは、まあ、そのまんまという感じだし、佐々木浩久が吉田嘉重(『エロス+虐殺』)を選んでいるのは、なるほどという感じなのだが、なによりシブいのは、黒沢清曽根中生(『不連続殺人事件』)を選んでいることで、やはり黒沢氏はこのような系譜を意図的に継承しようとしているのだなあと思った。そういえば『恐怖の映画史』でも、「起きあがりこぼしもの」の系譜として、曽根中生の『くノ一淫法/百花卍がらみ』に触れていた。このような「趣味性(きわめて解りづらい趣味性)」を堂々と押し出してくるのが黒沢氏の凄いところであると同時に、危ういところでもあるとは思うけど。(『不連続殺人事件』の上映時間は141分となっているけど、黒沢氏の140分の映画というのは考えにくい。黒沢清の140分の映画というのがあるとすれば、どのようなものになるのだろうか。もし、『ドッペルゲンガー』が140分の映画だったら、どうだっただろうか。)