●午後から台風だというので、午前中のうちに用事を済ませてしまおうと思って出かけた。もう既に雨は降っていて、強く降ったり弱くなったりをくり返しているので、弱くなった頃合いをみて出かけ、出先でも、建物から建物の間を移動する時には、雨が弱まるのを待って外へ出た。それでもかなり濡れた。特に足下、膝から下が濡れてしまうのはどうしようもない。用事も済み、昼過ぎに家に着いた頃に、一旦雨はほとんどあがったのだった。出かけるタイミングを間違えたと思った。
●ウェブのどこかで、松浦寿輝『半島』の文章が吉田健一の完璧なコピーになっているというようなことが書かれているのを目にしたのだが、それにはちょっと違和感がある。確かに、文の組み立て方はそっくりで、書いている側もそれを充分意識しているのだろうけれど、何と言うか、作品のなかでの文章の機能の仕方が違うように思える。吉田健一の文章は、小説でもエッセイでもあまり関係がなく、「作品」よりも文章そのものが勝っている感じで、文が裸で立っていて、小説を読んでいるというより文を読んでいるという感じが強いのに対し、松浦氏の小説の文章は、あくまでも虚構の設定のなかで成立し、作品の内部で、作品という虚構の全体を構築するために機能している、そのように機能するように書かれている、という感じがする。吉田氏の文章は小説だろうとそうでなかろうと、まず何よりも「吉田健一の文章」であり、それが最初にあって全てを制御し、それ以外のものではなく、良く言えば確固たる強さがあり、悪く言えば融通が効かない(リズムや息づかいが乱れることが許されない)。松浦氏にあるのは、そのような文の(文を制御する)物質的な強さではなくて、むしろ想像界の甘美さのようなものだと思う。(?半島』については05/08/12 にちょっと書いてます。)