08/02/07

●午前中は油絵の具で絵を描いた。
油絵の具を使ったのはいつ以来だっただろうか。といっても、今している仕事は白いキャンバスに黒い線だけの絵だから、黒(と、そこに分からない程度の混ぜられる少量の青と白)しか使ってないけど。絵の具とテレピンのにおいをかぐと(長い長い)浪人時代を思い出す。
今日使った油絵の具は、99年にホルベインという画材メーカーのスカラシップで奨学生になったときにもらったやつ(年間で50万円分の画材を提供してもらえた)で、それがまだ残っているくらいに油絵の具を使ってなかった。今、主に絵の具として使っているのはカラージェッソというアクリル系の下地用の色材で、これをはじめて試したのは、この99年の奨学生の時で、どうせタダで貰えるのだからちょっと試してみようと思って使ってみて、意外にもに気に入ってしまって、それ以来、色材は主にカラージェッソなのだが、その時にはこんなに気に入るとは思わなかったので、50万円分の大部分は既に油絵の具を貰っていて、その時の絵の具がまだ半分弱くらいは残っているのだった。(油絵の具を引っ張り出してきたのは、多分、今のアトリエに移ってからは初めてだ。)
カラージェッソはもともと、ジョットとかピエロ・デラ・フランチェスカみたいなフレスコ画のような質感を再現するようなイメージで開発された色材らしくて、不透明で光沢がなく、ボソボソッとして筆で描くと伸びがなく、乾燥すると石膏みたいな質感になり(普通のアクリル絵の具よりも粉っぽい感じ)、さらに色数も少なくて、普通に描画に使うにはかなり使いづらい色材なのだが、ぼくは、(まるでガムが靴の裏にこびりついて固まってしまうみたいに)絵の具の塊がキャンバスの表面にへばりついて固まるような質感と、湿り気が無く、やや鈍くてやわらかい色調が好きで、というか、好き嫌いの問題ではなくて、カラージェッソの質感は既にぼくの絵に不可欠な一部分で、だからカラージェッソ以外の色材で描く時は、発想や描き方から替えなくてはならないくらいなのだが、今日油絵の具を引っ張り出してきたのは、今まで紙へのドローイングとしてやってきた線の仕事の延長を、もっとサイズの大きめのキャンバスを支持体にしてやってみたいと前から思っていたからで、その場合、大きめのキャンバスのなかで引かれるであろう「長めの線」を引くにはカラージェッソでは伸びが足りなくて、途中でプツッと途切れてしまったり、ボソボソしてしまったりするから、もっと筆に馴染みがよく含みもよくて、すっと伸びのある油絵の具が必要だったからだ。
久々に油絵の具を使ってみて思ったのは、ただ、黒い線を引いただけなのだが、それでも油絵の具によって引かれた線は、どこかなまなましい豊かな表情があるということだ。もっとも、この豊かな表情がくせ者で、油絵の具独自の豊かさが絵を弱くしてしまっている作品の例を、ぼくは山のように観ている。(特に、西洋絵画-油絵に詳しく、その形式性にも意識的な人こそ、この罠にハマりやすい。)油絵の具独自の、質感のなまなましさと色彩の半透明性は、そこに振り回され、そこにはまり込んでしまうと、ぬめぬめとした気持ちの悪い絵をつくりあげさせてしまいがちなのだ。(いわゆる「油絵」というものが、ぼくにはとても気持ち悪いのだ。)そこが恐い。ぼくが、カラージェッソのような、使いづらく、どちらかというと表情も単調な絵の具を好むのは、そのためでもある。
●絵を描くのは午前中が良いみたいで、本を読んだり原稿を書いたりするのは、夜遅くが良いみたいだ。
というか、夜遅くというのは、周りが暗くなって静かになるから集中しやすいということで、要は、(前の晩に呑んでいなければ)昼前の二、三時間というのが一日のうちで最も頭が働くように感じられるので、その時間は出来れば絵を描くことに当てたい、ということなのだが。