08/04/22

●今年中には出るはずの本のための打ち合わせで編集者と会う。いままで書いた分のゲラをどさっと渡されて、あー、本当に本が出るんだ、という気持ちになる。原稿は、あと四分の一くらい残っていて、割と順調に書けていたのが、岡崎乾二郎論が、途中で停滞して、そこでちょっと止まってしまっている。それは岡崎さんがすぐれた作家であると同時にすぐれた理論家でもあるからで、岡崎さんの作品について書いているつもりが、突っ込んで行こうとすると、いつの間にか岡崎理論の後追いになってしまうという罠にはまってしまうからで、そこをどう突破するのかというのが、思いのほか難しい。それを書いている時目の前に、実際に岡崎さんの作品があるわけではない、というのも、難しさの一因だ。(古くからの岡崎マニアなので、図録は沢山持っているのだが。)
本の内容は、大雑把に、映画と演劇についての章、美術についての章、思春期について(つまり、アニメとラノベについて)の章の、3つの章で、全体を通してイメージのあり様について考察する、という感じになる。思春期について、というのがちょっと唐突という感じがするかも知れないのだが、ぼくにとって、イメージの問題は、感情の問題と切り離せないものなのだ。(ラノベといっても、思いっきり拡大解釈した意味でのラノベで、いわゆるラノベからは大きくズレている。例えば初期の橋本治とか。)文芸誌に発表した、現代文学についての文章はこの本には含まれない予定。
美術についての章に書いた小林正人論は、編集者が個人的にはこれが一番面白かったと言ってくれたのだが、小林論の主要な登場人物である、小林正人、バーネット・ニューマン、クレメント・グリンバーグという3つの名前が、一般の読者にはほとんど馴染みがないものなので(というか、美術に馴染みがある人こそ、グリーンバーグという名前をみただけで、ゲゲッといって敬遠する人が多いと思われ)、もうちょっとわかりやすい説明を入れて欲しいと言われる。ぼくの書くものはおそらくそれなりにややこしいもので、そうそう気軽に読めるものではないかもしれないし、それは半分はぼくの頭が悪いための整理不足せいもあるのだが、半分は、ややこしい問題を考えているのだから仕方がないという側面があって、ただそれでも、読者に予備知識を要求したり、固有名の乱舞でこけおどしをしたりするような文章には絶対したくなくて、基本的には丸腰で丁寧に文章を追っていきさえすれば理解できるというものにしたいのだけど、美術について書くときは、どうしても必要以上に熱くなってしまって、それが結果としてバリヤー(ATフィールド?)を形成してしまって人を跳ねつけてしまうということになりがちで、そこは気をつけなくては、と思う。(それは、分かり易いようにレベルを下げるということではなく、レベルを下げたくないからこそ、来る者を拒むような、余計な障害は取り除いて開かれたものにしたいのだ。)あと、もうちょっと改行を多くしてくれと言われる。
早ければ七月、遅くても九月に出せるようにということで、目標としての締め切りが具体的に設定され、厳しいなあと思う半面、ああ、本が出るんだ、という盛り上がりも徐々にに湧きつつある感じ。
●ぼくの本とは別に、もうすぐ出るものから、まだ正式には企画が通っていないというものまで、進行中の企画を編集者から聞いて、そのなかには楽しみなものがいくつかあった。