●超有名な画家についての原稿、とりあえず最後まで書けた。依頼された枚数は二十枚なのだが、三十枚を越えてしまう。対象に没入すればするほど、枚数のコントロールを失う。これでも、書きたいと思ったことの三分の二くらいで抑えた。書きたいことを全部書くと、おそらく五十枚を越えてしまうと思われる(さらにあと一週間くらいは時間がかかり、他の予定にも響く)。それではいくらなんでも、経済的行為としての「原稿を書くこと」を逸脱し過ぎてしまう。そもそも既に、この原稿によってもらえるであろうと予想される原稿料は、この原稿を書くための資料を集める費用(図書館まで行く交通費とかカラーコピー代とか)で、軽く越えられてしまっている。二十枚の依頼が三十枚になったので、原稿自体がボツになる可能性だってあるのだし。とはいえ、この原稿を書くことによって、それをきっかけにして、ぼくはこの「超有名な画家」の作品を改めて再発見出来たという感じなので、それはお金には換えられない凄く貴重なことなのだった。しかし、だとしても、実情として、今のぼくを経済的に支えている主な収入は原稿料なので、こんなことばかりつづけていると、簡単に経済的に破綻する。でもまあ、これはこれでとても楽しいので、お金のことはすぐに忘れてしまう(というか、簡単にお金のこと忘れすぎで、どうにもこうにも立ち行かなくなってから、急に焦ってバタバタするはめになる、ということを、一体何度繰り返せば気がつくのか、自分)。
ただ、絵画について書くことは、小説や映画について書くことよりも、ずっとずっと強いプレッシャーがあって、何と言うのか、「書く」ことに対する抵抗がすごく強く働く。一つの文を書き終わって、次の一文を書き始めるのに、すごく力がいるというのか。決して、小説とか映画とかを軽くみているつもりはないのだが、ぼくにとって絵画はやはり特別な(トラウマのような)何かなのだなあと思った。しかし、「特別」であることが、必ずしも良いこと(良い結果につながること)だとは言えないかもしれなくて、そこは難しいところなのだが。