●夜中に目が覚めた。雨が強く降っている。強い雨の時に部屋にいると、雨の音は聞こえるが、雨の音で他の音が遮断されているので、自分の今いる部屋が他から切り離されて、たとえばポツンと海の真ん中に浮かんでいるとか、密林のただなかに一軒だけあるとか、そういう感じになる。気圧の関係で、耳が軽く塞がれたようになっていることも大きいかもしれない。音というのは、皮膚で感じる触覚以上に、外に触れているという感覚にとって重要なものなのかもしれない。そんなことを書いていると、新聞配達のバイクの音が近づいてきた。
何日か前に散歩していた時、小さな平屋の一戸建てが、敷地のなかに互いを仕切る塀もなく何軒も規則的に建っているという、以前はよくあったが今では消えつつある、ぼくは「貸家」と呼んでいた形態の建物の玄関先に、宅配の牛乳を入れるための小さな木の箱が設置してあって、その上に「いつも配達ごくろうさまです」と書かれた紙が貼ってあった。子どもの頃に給食に出ていたガラスの牛乳瓶が、ようやく二本、入るか入らないかくらいの、樹にとりつけて小鳥の巣箱にするための箱みたいな木箱。木箱自体はとても古いものだが、その上に貼ってある紙は、それほど古びては見えなかった。このあたりではまだ、牛乳の宅配をやっているのだろうかと思った。なんで唐突にこんな話になったかと言えば、以前はあたりまえにあった、子どもの頃は実家でもとっていた、牛乳の宅配の習慣がいつのまにかなくなってしまったように、そのうち新聞の宅配という習慣も、だんだんと消えてゆくのかなあと、バイクの音から、この雨のなか雨合羽を着て配達する姿や、汗なのか侵入してきた雨水のせいなのか、雨合羽の内側が湿ってペタッと皮膚に貼り付く感触とかをイメージしながら、ふと思ったからなのだった。
●ついさっきまで見ていた夢には、中学時代の友人がでてきた。鞄のなかの携帯が震える感触があったので取り出してみると、見覚えのない、自分のものではない携帯だった。少し躊躇したが、出てみると、知らない女性の声だった。ええと、どこかで間違えちゃったみたいで、これ、ぼくの携帯じゃないんです。ああ、そうなんですか、わたしは××という者の母親なんですが……。この××という名字だけで、それが中学時代の友人の××のことだとなぜかすぐに分かった。最近××と会った憶えなどまったくないのだが。すぐに部屋のドアが乱暴にノックされ、出るとその××が立っていた。間違ってお前のを持っていっちまっただろ。携帯を差し出しながら、さも、お前が悪いんだ、お前のせいだとこちらを責めるような調子で言ってから、にやっと笑った。おお、と言って、ぼくも持っていた携帯を差し出し、取り替えた。それだけの夢。この××は、中学の卒業式の後、鞄を、中味も含めて全部、河原に投げ捨てた。