●43歳になった。一休さんの例の有名な言葉「正月は冥土の旅の一里塚…」ではないけど、誕生日がくると死を意識する(誕生日はあと何回やって来るのか?)ようになったのはいくつの時からだろうか。41歳の時は、カフカだったらもう死んでるよと言われた。
●「私」は、自分が蒔いたわけではない(先人の誰かが蒔いた)種による収穫物のおかげで生きているのだから、「私」のすべきことは、収穫をあてにすることなく、ただひたすら自分のためではない種を蒔きつづけることだろう。(時間的にも、そして空間的にも)「私」と、既にここには居ない人と、未だここには居ない人との間のコミュニケーションによって開かれる、今、ここでは見えない平面。「私」が生きているのはそのような場所で(も)あって、それは同期を強要する「現在(状況)」には回収されない。
●「笑っていいとも増刊号」で菅野美穂が、キューバに行ったら古谷一行みたいな顔の人がたくさんいたという話をしていた。そこで菅野美穂が「あっちにも古谷さん、こっちにも古谷さん」「少年の古谷さん、青年の古谷さん、老人の古谷さん」と、たたみかけるように「古谷さん」を連呼していたので、自分が向こう側から知らない人に呼ばれているかのようで、へんな感じだった。