●スーパーに行った。本当に、米とパンとカップ麺とトイレットペーパーがまったく無かった。あと、豆腐や納豆といった大豆製品もほぼ無かった。うどんや乾麺も残りわずかな感じ。穀物製品がほとんど無い。乳製品も品薄。とはいっても、ちょうど昼時だったせいか、(意外なことに)弁当やおにぎりは豊富にあったし、お惣菜の類も普通にあった。あと、やはり電池は全然無かった。
スーパーに「こんなに物が無い」状態を見たのは生まれて初めてだし、確かにこの「物の無さ」はそれだけで不安を煽るのに十分だと思った。でも、何より驚いたのは、平日だし、普段なら空いている時間なのにとても客が多く、しかも皆、妙に殺気立った感じだったこと。もっと詳しく観察したかったけど(缶詰とかレトルトのところまでは見なかった、冷凍食品はちらっと見たけど、普段の半分か三分の一くらいの品ぞろえだった)、あまり長居はしたくない雰囲気だったのでよく見られなかった。店のなかに警備員が立っているのもはじめて見た。いつもは外にいて、客に「ありがとうございます」と言っているか、ごみを拾ったり、荷物を車まで運ぶのを手伝ったりしている警備のおっさんが、怖い顔をしてレジのところで立哨していた。地震の翌日はあんなにおだやかで普通な感じだったのに。昨日か一昨日くらいに、何か混乱があったのかもしれない。店のスタッフらしい人が、「今日はさすがに落ち着いてきたな」と話し合っているのが聞こえた。
でも、肉、野菜、魚は普通にあったし、値上がりもしていない。見切り品で「半額」とかのシールが張ってあるのもあった。もし生鮮食料品まで品薄だったら、多少不安を感じたかもしれない(でも、今後も停電がつづくとしたら、保存の問題があるからどうなるのか分からないけど、あ、「半額」というのも、電気がこないともたないということなのかも)。飲み物は、水だけが無くて、あとは普通にあった。アルコールも普段通り。米もパンも豆腐も納豆も全然無いのに、豪華刺身盛り合わせとか、高級しゃぶしゃぶ用牛肉とかが豊富に並んでいるという、なんかシュールな光景だった。
●目薬を買うのをまた忘れた。
●今日こそは停電を覚悟して、六時過ぎにはパンパンに着込んで(100円ショップで買った頼りなげな)懐中電灯も傍らに置き(でも、電池の換えを入手するのは難しそうだからなるべく使わないようにしようと決めて)、書評を書く本の二度目をもう少しで読み終わるけど停電までに間に合うだろうかとか思っていたのだが、時間を過ぎても電気は来ていた(停電は午後六時二十分から十時までであるはずだった)。直前に「停電は行われます」とアナウンスがあったので、そのうちに電気が切れるだろうと思いつつ、本は読み終わり、暗くなったらこのまま寝てしまおうかとか考えていた。しかししばらくすると、「計画停電が実行されています」というアナウンスが繰り返し聞こえてくるようになった。どうやら、対象地域のすべてが停電になるわけではないらしい。「停電中だから冷静に行動してくれ」というアナウンスが繰り返し流れ、ヘリコプターの音が頻繁に近づいてくる。これじゃあ暗くなっても眠れない。
NHKのニュースに出てきた電気行政に詳しいという人が(名前は憶えてないけど)、電力の不足は今年の夏ころにピークを迎え、その後徐々に回復するだろうが、完全に回復するには2、3年はかかるだろうと言っていた。また、その人は、その間、東北や関東は嫌でも省エネモードで行くしかないから、日本経済が沈没してしまわないように西の方にがんばってもらわないと困る、みたいなことも言っていた。その話を聞きながら(別にその人の話に納得したわけじゃないけど)、今、大変なことが起こってしまっているように感じているけど、それは日本の東側に限ったことで、西側は全然なんともないんだよなあと気付いて、こういう言い方もどうかと思うけど、ちょっとだけほっとした。これからきっといろんなことが大きく変わるんだろうけど、(別に日本経済がどうとかいう話に限らず)半分が大丈夫なら、まあなんとかなるんじゃん、と。
●レオ・スタンバーグが亡くなったそうだ。ついこのあいだの平倉圭さんの『ゴダール・ソシアリスム』についてのレクチャーでもその名前が挙がっていて(なにしろフラットベッドからフラットデッキへという話だった)、平倉さんは、スタインバーグは、フリードやクラウスなんかよりもずっとすごい批評家で、九十歳でまだ生きています、と言っていて、ああ、まだ生きているのか、と思ったのだった。