ブリヂストン美術館で観たカイユボットは、なかにはよい絵もあったけど全体として凡庸だという印象。決して悪い絵だとは思わないのだけど「決して悪くはない」からこそなおさら印象に残らないというか。「都市の印象派」という展覧会のタイトルだけど、都市を描いた絵より郊外の田園風景を描いた絵の方がずっと良いように思われた。
ただ、一枚、すごく変な絵があった。「ペリソワール」というタイトルがついていた、川でボートを漕ぐ人を前方から振り返った視点で描いた絵。構図のせいなのか描写のせいなのか、観る者の方へ向かって進んでいるはずのボートが、見えない強い力(絵を観る人の視線の圧力?)で、後方へとぐっと押し戻されているように見える。ピンポイントでボートのところだけ強い風が吹いて押されているみたいでもある。ボートが水を切って進むことでたっているはずの波さえも、押し戻す力によってたてられているように見える。ボートを漕いでいる人のプロポーションも、妙な感じで(無理な力がかかることによって、とでもいうように)奇形的に歪んでいる。前に進んでいるはずのものが押し戻されて見える。波のたち方とオールの関係の描写がおかしいからそう見えるのかもしれない。
「だから面白い」というほどのことはないのだけど、微妙に気持ち悪くて、印象に残った。
駅からバスに乗って家に帰る時に降りる停留所は、そのすぐ先で、まっすぐに進む路線と右に曲がる路線との二手に別れる。だから、右に曲がる路線に乗っている時、停留所を告げる「次は○○前です」というアナウンスの後、「この先、右に曲がります」というアナウンスがつづく。つまり、このバスは右に曲がる方の路線だと告げる。だけど、いつもこのアナウンスが流れるタイミングの場所では、道路そのものが左へ曲がっているので、「この先、右に曲がります」というアナウンスの直後にバスは左に曲がる。これはもう分かっていることなのだけど、その度にいつも軽く気持ち悪い。言葉を聞くと、無意識のうちに気持ちが(というか体勢が)方向づけられるのだと思う。
この時の感じに近いような気持ち悪さが「ベリソワール」という絵にはあった。
ブリヂストン美術館のコレクションにマティスの「画室の裸婦」という絵がある。この絵はもう、何度も何度も何度も、この美術館で観ているはずだ。でも今日、あれっ、こんなにいいマティスがここにあったっけ、と驚いて、その後しばらくして、いや、これはいつもここにあるやつだと気付いた。この絵って、こんなに鮮やかだったのか、と、まるではじめて観るかのように、改めて新鮮に目に入ってきた。すごく得した気がした。
ブリヂストン美術館コレクションの、セザンヌマティス、ボナール、ルノアール、マネはすばらしい(モネがイマイチだとぼくは思うけど)。「サント=ヴィトワールとシャトー・ノワール」はセザンヌの代表作の一つと言っていいと思うけど、他は、代表作と言えるような作品ではないと思う。でも、「その画家の一番いいところ」がちゃんと出ている絵が選ばれている。そこが渋いというかマニアックというか、画家の名前だけでコレクションされているわけではないところがすばらしいと思う。