●散歩にも行けないくらいにこもりがちになってしまう原因は今回の地震による精神的な打撃も勿論あるけどなにより花粉で、でも、部屋にこもっていると、どうしてもずっとテレビでニュースをみつづけ、ネットで情報を拾いつづけ、ということになってしまって、そんなことしてたって結局同じような情報がぐるぐるまわっているだけで、どう考えても健全ではないので用もないのに出かけることにした。
中央線は遅れがちだけとまあ普通に動いている(遅れがちなのはもともとだとも言える)が、八高線は停電の影響で午後四時以降は完全に運休とアナウンスが告げていた。八王子駅で乗ってきて向かいの席に座ったおばあさんは、席に着くとすぐ、バッグのなかから単一電池の四本パックを取り出して、その表面を確かめるように手で触れ、裏にしたり表にしたりしながら、それを見つめていた。ようやく手に入れてほっとしたという感じなのだろうか。電車の窓からは、全体的に薄曇りの空にさらにダリが描いたみたいなわざらしい形の雲が浮かんでいるのが見える。あまりにわざとらしいので絵にしか見えない。電車は空調がオフになっているので足元が寒い。新宿の東口からビックカメラ方面に抜けるための地下道を歩いている時、そこに並ぶショップの若い女性店員の多くが驚くくらいに短いスカートを履いていて、いつまでたってもまだ寒くて、ぼくも含め通行人の多くが冬物のコートを着ているのに、ここはちゃんと春になっているのだなあと思う(メガネをかけていなければ、こういうことにも気づかなかったかもしれない)。人出は普段よりやや少ないというくらいの感じだった。
地元の駅に戻ってスーパーに寄ろうとしたら停電の影響で既に閉店していて夕食を買い損ねた。部屋に着くころには停電は終了していたけど。米はあるのでとりあえずそれを炊いて、冷蔵庫のなかに豆腐が一丁だけあったので、それに、五センチほど残っていた干からびた長ネギを刻んでかけて夕食とした。瓶のなかに数センチ残っていたウイスキーを飲んだ。
●久しぶりに都心に出たので散財してしまった。地震後、はじめて本屋に行って本を買ったので、記念としてそのタイトルここに書いておく。順番は、本屋で目についた順。目についた面白そうなものを選んだだけで意識したわけではないのだが、改めて並べてみるとこれらは皆アラカワと繋がっている(ぼくにとってのアラカワへの関心と繋がっている)のだなあと思った。
ダンゴムシに心はあるのか 新しい心の科学』(森山徹)、『経験のアルケオロジー 現象学と生命の哲学』(川瀬雅也)、『文学のミニマル・イメージ モーリス・ブランショ論』(郷原佳以)、『ミミズと土』(チャールズ・ダーウィン)、『幻のアフリカ』(ミシェル・レリス)、『壊れた脳も学習する』(山田規畝子)
●すごくベタもベタだけど、今とても『サクリファイス』(タルコフスキー)が観たい気分だったのだが、立ち寄ったレンタル店には置いて無かった。DVDを買おうかとも思ったが、本をいっぱい買ってしまったので見送った。かわりに『ファニーとアレクサンデル』(ベルイマン)、『アワーミュージック』(ゴダール)、『日陽はしづかに発酵し』『ストーン』(ソクーロフ)をレンタルしてきた(『サクリファイス』とベルイマンスウェーデン繋がり)。タルコフスキーは『鏡』と『ストーカー』のDVDは持っているので、『ストーカー』で我慢するしかないか。いや、今『ストーカー』っていうのはいくらなんでもベタすぎてちょっと違う感じだ。あと、今、すごくドライヤーが観たい気分でもある。地震で崩れた本の山を掘り起こせば、『奇跡』と『怒りの日』と『ゲアトルーズ』のDVDが出てくるはずだ。