紀伊國屋サザンシアター大江健三郎シンポジウム。すごく緊張して、すごく疲れた。発表自体は、まあ、用意していた原稿を読み上げればよいのだが、アカデミックで国際的なシンポジウムなど、まったくどんな感じのものなのか知らないので、現場に行って楽屋に通された時から、その雰囲気に呑まれたというか、ビビッてしまった(とにかく、「人前で話す」どころか、「人と話す」のは何日ぶりなのか、というような生活なので)。
パネラーより多い人数の関係者が壁際とかにずらっと立っていて、人が大勢いるのだが、部屋のなかに面識のある人が一人もいない(誰がどういう人なのか分からない)。みんな基本としてフォーマル。しかも、目の前には大江さんが座っている。ぼくはコミュニケーション能力に重大な欠陥があるので、こうなるともう、どこにいて、なにをどうしていたらいいのかまったく分からなくなる。ずっと、ぼーっと座って(あるいは立って)、目が泳いでいるという状態だったと思う。いくらなんでも、もうちょっとくらいは、人が大勢いる場に慣れる努力をしないとダメだなと思う(いや、それはいつも思うんだけど…)。
でも、シンポジウムが終わった後の懇親会のような場で、日本文学を研究している何人もの学生と話しができたのはとてもよかった。勇気づけられたし刺激も受けました。なので、シンポジウムに参加できたことはよかった。
●東大の小森陽一さんのゼミで一年かけて『水死』を読むというものがあって、そこでぼくの『水死』論が取り上げられていたということを知って驚いた(このシンポジウムに呼ばれたのはそのためだとのこと)。一人で読んで一人で書いて、編集者とのやり取りしかないという状態なので、変な言い方だけど、知り合い以外で読んでくれている人が本当にいるというのが実感としてよく分からない。でもそれは、下手をすると緊張感の欠如にもつながりかねない。そういう意味でも刺激になった。沼野充義さんが「群像」に載った小説を読んでくれていたことにはさらに驚いた。でもそれって、批評家としては普通のことなのかもしれないのだが。