●お知らせ。発売は14日ですが手元に届いたので。「ユリイカ」7月臨時増刊号(総特集・涼宮ハルヒのユリイカ!)に、「向こう側のユキとこちら側のハルヒ/アニメ版涼宮ハルヒシリーズについて」というテキストが載っています。
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%CE%C3%B5%DC%A5%CF%A5%EB%A5%D2%A4%CE%A5%E6%A5%EA%A5%A4%A5%AB%A1%AA
副題の通り、アニメーション作品としての「涼宮ハルヒ」シリーズを、原作から切り離して、自律した作品として論じています。「エンドレスエイト」がいかに重要なのか、と。
●あと、この本の表紙のイラストレーションとデザインはとてもいい。正直、いかにも「萌え」な感じのやつだったら恥ずかしいなと思っていたのだけど、普通にセンスがいい感じだし。
デッサン的には、というか人体構造的には、後ろにいる朝比奈の顔と上半身と下半身が三つに切断されているとしか思えない位置関係になっているし、前にいる二人の空間的な位置関係もよく分からない(縮尺が歪んで見える)のだが、そういう整合性を気にしすぎると絵は動かなくなるんで、むしろ矛盾が絵を動かす。三次元的空間を二次元に表象しようとすると必然的にどこかが歪むわけで、逆に、その歪みをどのように組織するのかが、平面的空間のリアリティを支える。単純な平面化や魚眼レンズ効果みたいな安易なやり方とは違うかたちで空間を歪ませ、画面全体として複雑な動きをつくっている。形態に嫌な癖もないし、髪の毛やスカート、リボンの表現も、過剰にデコラティブにならない、様式化されていない感じで、生き生きと多様な表情と動きをみせている。
個々の形態が融合しつつ(三人が、まるで三つの顔をもつ一つの身体のようにみえる)、分離し(しかしそれはあくまで三人である)、視線が循環しつつ開かれてもゆく。まず、三人の顔を循環する小さなループがあり、それが、ハルヒの左手、朝比奈の右手、長門の腕のクロス、ハルヒの左体側のラインという大きなループへと拡張し、それらが視線の循環を促すと同時に、髪やリボンやスカートの動きによって視線が外へと開かれる。他にも、例えば長門の腕のクロスと、長門のシャツの襟元の逆V字型の歪みなど、副次的な小さなループもたくさん仕掛けられている。複数の小さなループの折り重なりは、あるループから別のループへの視線のずれ込みを生むので、循環と開かれとの両義的な意味をもつ。
位置的に一番前にいる長門が一番小さく描かれ、一番後ろの朝比奈が覆いかぶさるように一番大きく描かれることで(しかも朝比奈の左足と長門の右足がつながっているようにも見えることで、朝比奈の身体の上下への拡張感が強まり、一層大きく感じられる)空間の前後が圧縮される。しかしそれは空間を平板化するのではなく、空間的な秩序よりも個々の物や表情がひしめくようにある状態(密度の高さ)を強調する。朝比奈の身体の切断や、ハルヒの左肩や右手の位置への違和感は、ものがひしめく感じによって後退する。
全体的に、フレームの右下の方向に崩れ落ちそうなバランスの悪さが画面に動きを生み出し(長門のとるポーズが画面全体の動きを決定する起点となっている)、しかしそのバランスの崩れは、ハルヒの左足の「曲がり」とスカートの「広がり」によって支えられ(抑えられ)ている。別の次元からみれば、長門のポーズによって導入された動きが、ハルヒの動きへと発展し、二人の動き(力)を受け止める朝比奈の身体を分断させている、とも言える。いずれにしろ、一見画面の一番目立つところにある中心にみえるハルヒの動きは、長門の身体の「傾き」によって導かれたものである。
「H」と「!」の位置と大きさ、配色、文字の配置やバランスなどもよいと思う。基本として白い場のなかに、塊としてあるコバルトグリーンと、拡散的に散らばる赤-茶-肌色。少ない色数と狭い範囲でのグラデーションが、圧縮的空間を暑苦しくさせずにすっきりと見せる。三人のなかで驚いたような表情をしている朝比奈の隣に大きな「!」が配置され、その背後のような位置に「H」がある。「!」と「H」が遠近法的に配置されることが、逆遠近法的な人物配置と矛盾するのだが、この文字の配置が「人物の後ろ側の広がり」をつくる。これによって、三人が圧縮的に表現される塊の「後ろ側」が意識され、風通しの良さが感じられるようになる。
ただ、ところどころ線がイマイチなところがある。長門のクロスする腕を描く描線はすばらしいと思うけど、ハルヒの左腕の描線が、形を最後まで捉えきるコシが足らなくて、形態が平板になってしまっている気がする。画面全体でもとても重要な部分なので、不用意にすっと伸びたようなこの線はとても惜しい。