●『ワープする宇宙』(リサ・ランドール)の「仮想粒子」の部分を読んでいて、『魂と体、脳』(西川アサキ)の「萌芽的中枢」をちらっと連想した。この辺りのことは『宇宙は本当にひとつなのか』にも書かれていたけど、ここではもうちょっと詳しく書かれている。
量子力学の帰結である仮想粒子は、現実の粒子の幽霊のような奇妙な片割れである。あらわれたとたんに消えてしまい、ほんの一瞬しか存在しない。仮想粒子は物理的な粒子と同じ荷量をもち、同じ相互作用をするが、そのエネルギーはどうもおかしい。(…)実際、仮想粒子が帯びているエネルギーは、本物の物理的粒子が帯びているエネルギーとは異なる種類のものなのだ。》
不確定性原理によれば、エネルギー(あるいは質量)を果てしなく正確に測定するには果てしなく長い時間がかかり、粒子が長く存在すればするほど、そのエネルギーの測定はより正確になる。しかし、もし粒子が短命で、そのエネルギーを果てしなく正確には確定できないとすれば、そのエネルギーは本物の長命の粒子のエネルギーから一時的に横取りすることができる。実際、不確定性原理があるおかげで、粒子はできるかぎりのことをして、できるだけ長くやり過ごそうとする。仮想粒子に良心の呵責はなく、誰も見ていなければ平気でいけないことをする》。
《ある意味で、真空はエネルギーの貯蔵庫と考えることができる。仮想粒子は、その真空から生まれた粒子で、エネルギーの一部を一時的に借りている。仮想粒子はほんの一瞬しか存在せず、借りたエネルギーをもったまま、すぐにまた真空に消失する。そのエネルギーはもとの場所に還ることもあるが、どこか別の位置にいる粒子に伝えられることもある。》
量子力学上の真空はせわしない場所だ。定義上ではからっぽとされていても、量子効果によって現れたり消えたりする仮想粒子と反粒子がうようよ存在する。ただ、安定した長命の粒子は存在していないというだけだ。原則的には、あらゆる粒子と反粒子のペアが生まれるのだが、きわめて短いあいだしか現れないため、それを直接見ることはできない。しかし、いかに短いあいだとはいえ、仮想粒子の存在はとても大切だ。仮想粒子は長命の粒子の相互作用にしっかり足跡を残してゆくからである。》
《仮想粒子に測定可能な影響力があるというのは、相互作用領域に出入りする本物の物理的粒子の相互作用に仮想粒子が影響をおよぼすからである。その短い存在期間のあいだに、仮想粒子は本物の粒子のあいだを移動して、それから消滅するときにエネルギーを真空に返済する。仮想粒子はこの働きにより、安定した長命の粒子の相互作用に影響を与える媒介としての役割を果たす。》
●たとえば、電磁気力が働くということは、電磁気力を媒介する粒子である光子が電荷を帯びた粒子と「相互作用する」ということだ。そして、仮想粒子の「相互作用」への影響の仕方というのがまた、いかにも量子力学以降っぽい。
《私たちの知っている力の強さは、粒子の相互作用にかかわるエネルギーと距離によって決まり、仮想粒子はその依存関係に一定の役割を果たす。たとえば、電磁気力の強さは二つの電子が離れているほど小さくなる(ただし、この量子力学上の減少は、電磁気力の古典的な距離依存とはまた別である)。》
《ある特定の物理的粒子の一群が相互作用する個々の過程を、ここでは「経路」と呼ぼう。経路には仮想粒子がかかわることもあるし、かかわらないこともある。仮想粒子がかかわる場合は、その経路を「量子補正」と表現する。量子力学では、通過しうるすべての経路が相互作用の最終的な強さに寄与する。》
《(…)粒子どうしの相互作用の最終的な結果は、仮想粒子の寄与も含めて、可能性のあるすべての寄与の総和となる。》
《物理粒子どうしの直接的な相互作用だけでなく、「間接的な相互作用」----仮想粒子のかかわる相互作用----も力の伝達に影響を及ぼす。》
《仮想粒子が相互作用を促進するのを妨げようとするのは、友達に秘密を打ち明けておきながら、それが別の友達に伝わらないのを期待するようなものだ。遅かれ早かれ、何人かの「媒介をはたす仮想の」友人はあなたの信頼を裏切って、別の友人にメッセージを中継するだろう。たとえあなたが先にその友人に秘密を打ち明けていたとしても、あなたの仮想友人もそれを話題にするなら、それについての先の友人の見解はやはり影響を受ける。それどころか、その見解は、その友人が話をした相手全員の影響を受けた最終的な結果となる。》
●相互作用の結果の値が、たまたまそうであった「ある特定の経路」(偶然)によって決まるのではなく、ありうべきすべての経路をあわせた「可能性の総和」(必然)の値に落ち着くというようなことは、量子力学を多少でも聞きかじっていればそれほど意外ということはないけど、でも、それってやはり驚くべきことではないだろうか。
それはつまり、粒子のレベルでは個別と普遍の区別がないということだと言ってもよいものなのだろうか。いや、そうではないか。個別(物理的粒子)と普遍(仮想粒子)の区別はあるが、それが同じレベルにあって、同等に相互作用してしまう(上位レベルと下位レベルが混合される)、ということなのか。
●おそらくこれは、二人称的な思考とも関係づけられるのではないか。