●最近のゲームは物理エンジンというものが組み込まれているという話を、昨日西川アサキさんから聞いた。それによってゲームの空間は、われわれが住んでいるこの現実と同じ物理法則が支配する世界となる。たとえば、ゲームの画面の端の方でたき火が燃えているとしたら、それはたんなる背景ではなく、実際にそこでたき火がされているのと同じ効果をゲーム世界に与える。ゲーム内世界は、あらかじめ隅々までプログラミングされたものというより、その時々のプレイヤーの動きによって、その都度、ゲーム設定と物理法則という縛りのなかで新たに計算され、(その都度の計算によって)創出される。計算以前に「ある」わけではないこと。その時、ゲームのデザイナーがそのような「敵のやっつけ方」をゲームのルールとして想定していなかったとしても、例えば敵をたき火に誘い込んで燃やしてしまうという「やっつけ方」を思いついて試すことが可能になる。つまり、あらかじめゲームの内容としてデザインされていなかった解法がプレイヤーによって創造されることがあり得る世界となっている(これはゲーム内設定や物理法則にはきちんとかなっているのだからいわゆる「バグ」ではない、というところが重要、世界それ自身が世界をデザインした人――あるいは世界のデザイン――をあらかじめ超えてあるということ)。それは、現実のこの世界で、それまで誰も想像できなかった方法を誰かが創造(発明)するのと同等の行為だと言える。ゲーム世界が、ゲームというあらかじめ与えられた問題設定のなかでの最適解を目指すものではなくなって、そもそもの問題を書き換えてしまうかもしれない別の解を見つける(創造する)ことも可能な世界となっていること。
そうであるならば、ゲーム内の世界で行為することと、この世界のなかで行為することの間に、根本的な違いはなくなってしまうのではないだろうか。例えば、科学者が論理と実験によってこの世界のなかから新たな様相をつかみ出してくることと、ゲームプレイヤーがゲームを繰り返すことでゲーム世界のなかで新たな解法を見つけ出してくることとが、同等の行為となるではないか。勿論、この世界、この宇宙の方がはるかに広大で稠密ではあるだろうけど(物理エンジンがシミュレートするのはあくまで古典物理学的世界であって量子論的な世界ではないのだし)。しかし、大小や粗密の違いはあっても、互いに独立した、同等の「別の世界」であって、どちらかが現実でどちらかが仮想だとは言えなくなるのではないか。
ウィキペディアによる「物理演算エンジン」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E7%90%86%E6%BC%94%E7%AE%97%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%B3