●今期は、深夜アニメで面白いものがみつけられていないので、以前、西川アサキさんから教えられたゲームのプレイ動画を観ている。西川さんが言うには、ここ五、六年で観たあらゆる映像作品のなかで最もすごいものだ、と。「デモンズソウル奴隷兵縛り 剣は折れても心は折れない」。下のリンクは、最初の設定の説明。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7825200
そして、第1夜。これだけでかなり衝撃的。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7834882
ぼくはゲームをまったくやらないし、「デモンズソウル」というゲームについても勿論何も知らないのだけど、奴隷兵という最弱のキャラクター(鎧なども無し)と、折れた直剣という最弱の武器(折れた直剣は素手よりも弱いという)、奴隷の盾という最低限の防備だけを使って、このゲームをクリアする、と最初に宣言してプレイをはじめ、その様子を延々と記録している動画、ということらしい。
ゲームについて何も知らないので、最初は何をやっているのかさっぱり分からないのだけど、ずっと観ているうちに、ゲームの内容もなんとなく分かってきて、この人(プレイヤーのフジマロさん)がやろうとしていることが、いかにとんでもないことなのかも分かってくる。どう考えても無理な設定でゲームを始め、まさにその「無理ゲー」のなかで、試行錯誤の執拗な繰り返しによって、世界の新しい様相を一つ一つ発見して、ゲームの規則さえ塗り替えて活路を見いだして行く。
(ぼくはまだ第17夜までしか観ていないけど、これは一体どこまで続くのだろうか……。この動画を観ることで、はじめて「ゲーム的リアリズム」という概念が理解できたように思う。ゲーム的リアリズムとは決して物語化できないもので、それに最も近い感じは、やたらと長い小説をただひたすら読み続けるという経験なのではないだろうかと思った。)
実はこのプレイ動画を教えてもらったのは、もう二年半くらい前のことなのだった。ずっと気になっていたのだけどゲームのタイトルを忘れていて検索できなかった。下のリンクはその時に書いた日記。
http://d.hatena.ne.jp/furuyatoshihiro/20121216
《そうであるならば、ゲーム内の世界で行為することと、この世界のなかで行為することの間に、根本的な違いはなくなってしまうのではないだろうか。例えば、科学者が論理と実験によってこの世界のなかから新たな様相をつかみ出してくることと、ゲームプレイヤーがゲームを繰り返すことでゲーム世界のなかで新たな解法を見つけ出してくることとが、同等の行為となるではないか。》