●偶然とかランダムとかいう概念は、とても怪しい。たとえば偶然というのは、客観的な意味で因果関係がないということなのか、われわれの現段階の能力によっては因果関係を見いだすことができないということのなのか、それとも、無視してもよい程度の因果関係しか持たないということなのか、そのどれか分からない。われわれにとっては偶然というしかないできごとでも神にとっては必然であるのか、神にとってさえ想定不能ななにかであるのか。
ナマズが暴れたことと地震とには因果関係はないと言うとき、それはたんに、ナマズによって地震予知はできない(有用ではない)と言っているにすぎず(社会的有用性の問題)、この宇宙のすべてが膨大なできごとの因果関係によって織りなされているとすれば、その間に膨大なステップを挟めば、まったく関係がないとはいえないともいえる(しかしそれは地震予知の指標としては「使えない」と)。つまり、なにが偶然でなにが必然であるかという違いは、物事の有用性のスケールをどのレベルに設定するのかによって違ってしまう(逆に言えば、そのレベルを決定すれば、たとえば、「その壷と幸福とに因果関係はない」という風に、確定可能ではある、しかし、それは客観性というより蓋然性と言うべきものではないか)。
だけど、量子宇宙論によれば、そのような相対的な偶然/必然ではなく、客観的なランダム性というものがあるという。以下は、『量子宇宙への3つの道』(リー・スモーリン)からの要約。
ブラックホールは強力な重力をもつため、そこから脱出するには光速を越える速度が必要となる。つまり、そこからはなにものも外にでることはできず、ブラックホールの事象の地平線の向こう側の情報を、その外部にいる観測者が知ることは原理的に不可能である。
●あらゆる情報は光速を越える速さで伝達できないのだとすれば、宇宙のなかには無限の未来まで待っても決して知ることのできない(そこから情報が届くことがあり得ない)隠れた領域が存在することになる。ブラックホールの外にいる観測者にとっての事象の地平線内部がそうだし、もし宇宙の膨張が加速しているとすれば、宇宙のある地点からでは永遠に知ることのできない別のある地点が存在することにもなる。その二点は決して(永遠に)交流できないし、二点を同時に眺め得る第三の視点も不可能となる(あ、第三の視点は場合によっては可能なのか…)。
●宇宙の膨張のかわりに、常に加速しつづける観測者を考えてみることもできる。常に加速しつづける観測者は、ブラックホールの事象の地平線と同様のものを発生させる。つまり加速し続ける限り永遠に行き来できない隠れた領域とそことの境界面を生み出す。常に加速し、無限に光速に近づきつづける観測者には、ある一定以上離れた距離からの光子は永遠に届かないことになるから。加速をやめればこの境界面(地平線)は消える。(下図参照『量子宇宙への3つの道』より)




●仮にこの加速しつづける観測者が存在するのが完全な空虚(真空)であるとする。しかしそれでも、彼が加速しはじめたとたんに、粒子検出器は粒子を検出しはじめ、温度計はゼロ度から温度上昇を示す。同じ場所に存在していたとしても、加速しない観測者と加速する観測者とでは世界がことなる。両者の違いはただ「加速」だけであるのに。
●熱はエネルギーであり、エネルギーは増えたり減ったりしないはずだ。ではこの熱はどこからくるのか。
●静止した粒子は、動いていないので正確な位置をもち、動いていないので正確な運動量をもつ。しかし不確定性原理により、粒子の位置と運動量を同時に正確に知ることはできないことになっている。よって粒子は静止できない。一方を正確に知れば、もう一方は限りなく不確定になるはずだから。だから、たとえ粒子からすべてのエネルギーを抜いたとしても、なにらしかの固有のランダム運動が残ってしまう。これをゼロ点運動と呼ぶ。
●同様のことは場にも成り立つ。どこかの領域で電場の正確な値を計ると、磁場の値はまったくわからなくなり、逆も同様。つまり、どこかある領域で、電場と磁場とがともにゼロであることはあり得ないことになる。空間を零度に冷やしてエネルギーを含まないようにしても、ランダムに揺らぐ電場と磁場が残ってしまう。これを量子揺らぎと呼ぶ。しかしこれらはエネルギーをもってはいないので、検出器によって検出することはできない。
●「ランダム」というのはどこからくる概念なのか。
EPR実験というものがある。原子の崩壊で生まれた双対性をもつ二つの光子がある。双対性があるとは、この光子の一方がたとえば+と観測されたとたん、もう一方は−であると決定される(観測されるまではどちらでもあり得る)、ということを意味する。この二つの光子が反対方向に移動するとする。十分に離れた二つの光子が、それぞれ光円錐の外部にある二つの地点において観測されたとする。つまり、その二つの観測者は決してお互いを参照することのできない関係にある。だがその時、にもかかわらず、一方で光子が観測されると、その相関性は他方にまで波及する。それは一方の観測者からみると「ランダム」としてしか捉えようがない(!!!)。これはつまり、(相対的な観測者にとっては)世界の絶対的な「外」で起きた出来事が、この世界に波及していることになるから。原因が世界の外にあるのだから結果はランダムとしか言いようがない。これが客観的な「ランダム」なのだ、と。
(これはすごい論理のアクロバットだと思う。)
●つまり、常に加速しつづける観測者においては、事象の地平線が発生し、決して知ることのできない宇宙の外側(隠れた領域)が生まれるので、そのとたん、その観測者の宇宙と、そこからは永遠に届かない隠れた領域との不可視の相関関係が顕在化して、客観的な「ランダム」が発生するのだ、と(ええっ!、と思うけど)。加速によって、潜在的なランダム-量子揺らぎが顕在的なランダム-エネルギーとなる。結果として彼はランダムな運動を観測することになり、そしてランダムな運動とは定義として熱であり、だからそこに熱が発生するのだ、ということになる。
●こういうロジックが(数式によってだとまた違うのかもしれないけど)自然言語で記述されると、まるで麻耶雄嵩の小説のロジックみたいに感じられてしまう。この宇宙の物理は麻耶雄嵩的なロジックでできているのか(感嘆…)、とか思ってしまう。
●そして、ランダムさの尺度がエントロピーで、エントロピーとは情報の概念と密接に関係している。
《加速している観測者が見る熱い光子の正確な状態に関する情報は欠けている。それは隠れた領域にある光子の状態のなかに符号化されているからだ。ランダムさは隠れた領域の存在の結果であるので、エントロピーは加速する観測者に見ることのできない世界がどのくらいあるかについて、何らかの目安を取り込まなくてはならない。それはその隠れた領域の大きさと多少関連するはずだ。これはおおよそ正しい。実際には隠れた領域と観測者を隔てる境界面の大きさの目安である。加速の結果、観測される熱い放射のエントロピーは、地平線の面積にぴったり比例することがわかっている。》
●≪ランダムさは隠れた領域の存在の結果であるので≫とか、こういうのを読んでいると興奮して鼻血が出そうになる。