●『犬のバルボッシュ』(アンリ・ボスコ)を読んでいた。物語というものが、何かしらの出来事と、それについての解釈でできているとすれば、よい物語とはおもしろい解釈のことだといえる。人は、経験を構成するために解釈(出来事の形式化)を必要とする。ただ、解釈というものがおもしろいものであることはとても希有なことだ。おもしろい解釈は、解釈そのものがそれ自体でその都度改めて創造される出来事であるか、あるいは出来事に対応する見事な(または咄嗟の)身体的所作のようなものだ。少年(パスカレ)とおばあさん(マルチーヌ)が旅をし、その二人を影のように、守護天使のように、犬(バルボッシュ)がつきしたがうという三重構造の形式が、このお話のリアルさの要なのだと思う。ぼくは、こういうものこそが書きたいのかもしれない。
《さて、そのとき夢と現のあいだに起こったこと、そしてぼくが目にしたことについて、ぼくはちゃんと証拠だってあげられるのだけど、それはほんとうにおどろくべきことだったので、それを信じるためには、ふしぎなことを目にしたくてたまらない子どもの頭が必要だったのだ。》
《よくおきき、パスカレ、わたしはこの旅のあいだにたくさんの夢を見ます。だってこの旅行を、わたしは夢で見るんだし、おまえは自分の目で見るんだからね。わたしが娘時代に見たもの、いまはもうわたしにゃ見えないものを、おまえは全部見るんですよ。》
《わたしはたったいま、一時間以上も、バルボッシュの夢を見ていたんだよ、そして目がさめたら、そこにいるじゃないの。いったいぜんたい、ここはどこなんだい? ソーゼットかい、それとも天国?……》