●用事があって出かけた。電車のなかでウトウトしていたら、子供の叫ぶ「トーカイドー!」という奇声で目が覚めた。向かいの席に座る4、5歳くらいの男の子が、電車とすれ違うたびに「トーカイドー!」と声をあげている。あー、寝かせてくれないかなあとうんざりしながら、子供の絶叫の破壊力はすごいと感心もする。声が高いということもあるのだけど、声に力か漲っているというか、有り余っている。摩擦なく走り抜けて空間を切り裂くような声だ。純粋なイメージだけだとしても、自分の体からあのような声が出ているところを想像することさえ出来ない。
東京が近づいて、山手線とすれ違うようになると、「ヤマノテセン」が上手く言えないようで、「ヤマゴケセン」「ヤマノケセン」「ヤマゴメセン」と、その度に微妙に違うことを言う。自分でも確信がもてないのか、声に「トーカイドー!」のような破壊力はなくなっている。
(この、微妙に感じられる自信の無さのなかに、我々は「内面」を感じるのだろうか。)
●午後から早稲田で用事があり、夕方には済んで、この時間ならまだ雑司ヶ谷のタリオンギャラリーまで行って二艘木洋行をもう一度観られると思って、東西線で早稲田から高田馬場高田馬場で山手線に乗り換えて、池袋で降りて副都心線雑司ヶ谷、というイメージをたてたのだけど、山手線に乗っている時に乗り換えが面倒だと思い、目白で降りて歩こうと思った。目白からの地図は23日に行った時に見ていて、なんとなくイメージはあったので、手元に地図がないけどまあ行けるだろうと思っていた。しかし、そのイメージが間違っていた。ぼくのイメージでは目白通りをずんずん歩いて日本女子大のちょっと先だと思っていたのだけど、そうではなく学習院大学のちょっと先で、日本女子大まで行くとすごく行き過ぎなのだった。
そもそも日本女子大は雑司ケ谷の駅よりもっとずっと先ではないか。しかし先入観というのは恐ろしいもので、雑司ヶ谷駅を平気で越えてずんずん先まで歩いていってしまったのだった。いつまで歩いても前に来た時に見たそれっぽい風景に至らないので、これはおかしいと思いはじめ、そういえばさっき雑司ヶ谷駅の出口の表示があったような気がすると、今度は来た道をずんずんと戻ることになった。
雑司ヶ谷の駅の出口まで戻ったのはいいが、そこは前に来た時に出た出口とは別の出口で、そこからどう行けばいいのか分からない。実は、その出口のすぐ近くにギャラリーはあるのだが、既に真っ暗で、慣れない土地では方向がわからない。そして、前に来た時の出口を探して、その出口の周囲をぐるぐるまわることになる。そんなこんなで、一時間近くも迷った末にようやくギャラリーのある場所にたどり着いたのだけど、なんと月曜、火曜はお休みなのだった。
今日のところは、とりあえず「目的地まで辿り着くことは出来た」という満足感で満足して帰るしかない。「あ、鬼子母神はここにあるのか」と分かったこともよかった。
●帰りは、雑司ヶ谷から横浜までは一本でいける。人工知能学会の学会誌に載っている「人間レベルの汎用人工知能の実現に向けた展望」という論文を読みながら帰った。