●「ガッチャマンクラウズ」の中村健治監督の過去の作品『つり球』を観ていて、エンディングでスピッツの曲をカバーをしている「さよならポニーテール」というグループがなんとなく気になって、検索してYouTubeでみつけたED曲『空も飛べるはず』のPVが面白かった。黒沢清+リンチみたいな感じというか、ゴスにまでは至らない適度な退廃の感じあるいは厭世感というか、ローザスのロリータ版みたいな感じというか。
https://www.youtube.com/watch?v=uGa1_713DFU
このPVを観ると、《君と出会った奇跡がこの胸にあふれてる きっと今は自由に空も飛べるはず》という歌詞が、恋愛の歌ではないものとして解釈されている。女の子たちの一心同体みたいな仲良し三人組がいて、しかしそのうちの一人がハブられてしまって、とても悲しいけど、でもなんかそのおかげで自由、みたいに解釈できる感じになっている(PVの後半では、三人が一緒にフレームインすることがほとんどなく――三人が並んでいるカットはあるが、それはたった一人でシャボン玉をしているカットと対比的にモンタージュされている――ほぼ二人と一人になっている)。「妖精の病」における妖精との別離、かもしれない。あるいは逆に、一人ぼっちの女の子が、物語のなかの仲良し三人組を妄想している、ととることも可能だろう。このPVの解釈と、スピッツの曲をふわふわした複数の女性ボーカルでカバーすることとが、とても上手く重なって(PVという作品として)独自の非-世界感が出ているように思った。
「さよならポニーテール」は、アイドルではなく、ライブもメンバーの顔出しもしないで、ファンとの交流はSNSでだけ行うという(メンバーのキャラは絵で示されている)、顔のない音楽ユニットのようだ(マンガ作品もあるらしい)。だからPVに出ているのはメンバーではない、と。90年代サブカルの匂いのする感じのグループっぽい。
PVでもう一つ面白かったのは、『ぼくらの季節』という曲。
https://www.youtube.com/watch?v=_Uq7qvBWTvA
シチュエーションはありきたりで、好きな男の子に思いを告げたくて、その場面を何度も思い描きつつ、ためらっていて、その一方、別の先輩から誘われてもいて、思いが揺れている。思いを告げるのか、告げないのか、美術部の男の子にするのか、先輩にするのか、その躊躇いと揺れの分だけ、妄想世界が分岐して世界が重複してゆく。そして重複すればするほど袋小路に入ってゆく。その感じを、同一場面の反復とズレによって表している。よくあると言えばよくある感じなのだが(まあ、「時かけ」だけど)、反復のさせ方(構造の組み方)と、イメージの繋ぎのセンスが面白い。気持ちが揺れれば揺れるほど、だんだん世界がシュールになってゆく感じと、気持ちの勢いが止まらないことを示す畳み掛けるような反復的モンタージュ。それに、自転車で疾走する映像として、『魔法少女を忘れない』(堀禎一)ばりに素晴らしいのではないか。
(このPVをつくったのは、「でんぱ組inc」というアイドルグループに所属する「夢眠ねむ」というアイドルらしい。)
(追記。あ、もしかすると、ペンギン先輩は女の子を誘っていたのではなくて、相談に乗って、背中を押していたのかも。そうじゃないと、女の子のポケットにチケットが二枚入っていることの説明がつかない。女の子は「一緒に船に乗りませんか」という江ノ島君への手紙を書いているし。このチケットで江ノ島くんを誘ってみれば、とペンギン先輩は彼女にチケットを渡す、と。この魚を江ノ島くんと一緒に食べなさいと、釣った魚を渡す、と。ペンギン先輩は空想上の媒介者であり、「妖精の病」の妖精なのかもしれない。)