●今日は、制作はいったんお休みにして、西八王子に行って展示に必要なものを買い(西八王子駅の近くに、小さい店だが地元の大型ホームセンターよりも充実した品ぞろえの店がある)、吉祥寺に行って「百年」で展示のイメージを練り、夜は池袋へ行ってジュンク堂保坂和志×西川アサキのイベントを聞くというつもりだったけど、火曜日は「百年」はお休みだということを忘れていた。
●二年ぶりくらいの西八王子。大学に入ってから、何度か引っ越しはしたけど最寄駅は二十年以上ずっと西八王子だった。買い物のあと、駅周辺を少しぶらぶら歩いた。体になじみすぎた風景との距離感がよく掴めなくて妙な違和感(すごく見慣れてはいるけど、もう「地元」感はあまり湧いてこなかった、使い慣れたはずの駅でトイレの位置が一瞬分からなかったのは、最近――二十年以上住んでいたなかで最後の五年間くらいのいつか――工事があって位置が移動したからで、移動前の場所に無意識のうちに向かっていてそこになくて混乱した、高校生や大学生くらいの若者がすごく多いのが、今住んでいるところと随分違う)。
駅前すぐにあったパチンコ屋がコンビニになっているくらいで、そんなに変化はないと思い、少し時間があるので、ここに住んでいた二十年以上の間ずっと「長い時間」を過ごした喫茶店に寄ろうと思ったのだが、なんとなくなってしまっていた(二階にある喫茶だけど、階段部分のシャッターが降りていて、窓を見上げるとまっくらで、内装も撤去されているようだった)。もしまだぼくがここに住んでいたとしたら、完全に居場所を失っていただろう。まわりがどんなに変化しても、二十年以上の間ずっと安定して――内装などもまったく変わらないまま――ありつづけていた空間だったので、なくなったという実感がなく、空間はありつづけ、ただ、そこへと至る通路を塞がれたのだ、という感じがする。八王子周辺に何軒もあるチェーン店なのだが、他の店舗はどうだろうか。
●池袋ジュンク堂で『遠い触覚』刊行イベント。保坂×西川対談。保坂さんと西川さんとでは、世界に対する構えとか、棲んでいる世界とか、考えを組み立ててゆくやり方とかはずいぶん違うと思うのだけど、それが行き着く先は似てくる(ベケットやリンチに対する評価とか)。というか、かなり違っている二人を共に動かす、ベケットやリンチがある。保坂さんがリンチから受けとっているものと、西川さんが受け取っているものが、どの程度近くてどのくらい違っているのかはともかく、二人を動かす源にはリンチという共通のなにかがある。
西川さんが、リンチに対してピンチョンという名前を出す場面があった。リンチはすばらしいし、リンチを観て「救われた」と思ったけど、それでも、リンチはちょっと「重過ぎる(あるいは、強過ぎる)」ところがあるのではないか。対してピンチョンは、かなりシリアスなシチュエーションを造りはするが、しかしその深刻さは深まってゆかず、どうでもいい下らないことばかりを延々書き続ける。つまり、リンチにももっと「緩さ」がないと辛いところがある、と。これはそのまま、『未明の闘争』は確かにすごいけど、ちょっと「重過ぎる」ところがあるのではないかという問いでもあろう。
これを聞いていて、同じような問いかけが保坂さんの『遠い触覚』のなかにも書かれているのを思い出した。接続詞のない文章を書くという行為が、ジミ・ヘンドリックスへと繋がってゆく時に、「だから開けちゃ、いけないんだって」(開けてはいけない蓋を開けようとしている)とオーネット・コールマンが唐突に語りかけてくる場面。なにかをストイックにキリキリと追い詰めてゆくと、「自分はすごいことをやっている」という満足感のようなものが生まれるが、それはランナーズハイやワーカホリックのようなもので、しかし「俺はそれはしないんだ」とオーネット・コールマンは言う。
オーネット・コールマンはただ蓋を開けるなと言っているのではない。開けるべき蓋はそれではない、なのか、蓋を開けても大げさに考えるな、なのか、蓋などもともとない、なのか、それはまだ私にはわからない。》
リンチとピンチョン、ジミ・ヘンドリックスオーネット・コールマン。違う場面、違う通路を通って、二人(西川さんと保坂さん)の思考は同じ形を描いているようにみえる。というか、場面は異なるが似たようにシチュエーションに対し、別のものではあるが「同じ風」が吹き込んでいるというべきなのか。
西川さんが保坂さんに、これからどういう感じのことをやりたいと思っているのか尋ねると、保坂さんは、「過酷な修行者」と、彼を突き動かし、あるいは妨害する、「根本的な性欲の力」との関係について考えたい、修行をしない者としてその中味を知りたい、というようなことを言い(かなり不正確な記述です)、しかし同時に、修行者はもともと体が強い、自分は修業はしない、嫌だ、寒いのには耐えられない、座禅を組む人は下痢をしないのか、などと言っていた。この感じが、ジミ・ヘンドリックスオーネット・コールマンの間にいるということかもしれないと思った。
31歳から猫との関係がはじまり、それからずっと猫と関わり続けることで対社会的な関係としての自分を意識しないで生きてくることができた、そして猫との関係のなかで自分なりの内面がつくられてきたという意味で、結果として、それが自分にとっての修行ということになるのではないかと保坂さんは言っていて、「修行」と言い得るようなものがあったとして、それはおそらく、結果としてみれば「それに導かれた」としか言えないような何かであると考えるのは納得できる。