●「穴の空いた絵画」のシリーズは、下のように台紙に貼れば展示可能になる。でも、これはあくまで妥協だ。紙(折り紙だし)というのは、モノとして弱すぎて、自分自身の構造を自分で保ち続けることが困難だ。だから、台紙という支持体を必要とする、という妥協。
(しかしこれを、自分自身で自律可能な、ある程度以上にしっかりした厚紙などでつくると、「厚み」がでて、三次元性が強調されすぎてしまう。)
しかし、「穴の空いた絵画」には穴が空いているので、台紙(の色彩---白も含めた)が、たんなる支持体には収まらず、構造物としての絵画を空間として貫くことになる。台紙は、あくまで構造体を支える機能としてのみモノであり、空間のなかで図(モノ)としてなるべく前景化しないことが望ましい。台紙が、色彩という、構造体を包み込む、ある特定の表情と傾向性を既にもった環境=空間(だから空というより虚)としてあり、しかし同時にそれはモノとしては支持体(構造を支えるもの)であり、そして構造物との関係において「環境=虚としての台紙の色彩」が、穴の作用により、構造体を突き抜けて、構造体こそを地とする図(実)にもなる、という風であればいいのだが。
これらは、はじめから展示(発表)を前提にしていないエクササイズなのだが、この、気軽なエクササイズを、ある程度は持続可能な構造体とするにするにはどうしたらよいのだろうか。折り紙のモノとしての弱さを、弱さのまま持続可能にするには、どうすればいいのか。