●最近、時間があるとYouTubeでアイドルの動画を観てしまうことがある。「アイドルの現場」とかは知らないまったくのにわかなのだけど。
これまでの、ももクロとかでんぱ組とか、あるいはハロプロ系とかにはイマイチのれなかったのだけど、いわゆる「アイドル戦国時代」が下火になってきて、そのことでかえって、地下アイドルとメジャーとの間くらいの層が分厚くなって、いろんな人たちが出てきて、多様性が増して、あらゆる「サブカル的なもの」が、アイドルという枠(器)のなかに入ってくるというか、消えかけたサブカルがアイドルという分母の上にのっかることによって「生かされている」という感じがでてきているように思われる。
(日本では現実の地獄感がすごいので、エンターテイメントにおける「多幸感」が過剰に発達してしまう、という側面もあるのかもしれない。)
アイドルという枠のなかでも突出しているのが、(あくまでぼくに見えている範囲では、ということだけど)眉村ちあきという存在ではないかと思う。さまざまな意味で規格外なのだけど、こういう人が、人にやらされている感がなく、かなり好き勝手に振る舞っている(ように少なくとも「見える」)のだが、それで成り立っているというところに、アイドルという器の柔軟性と可能性を感じる。この人は、作詞、作曲、トラックメイクをすべて自分でやっていて、自分をマネジメントする会社の自分でつくって、社長もやっているという。
眉村ちあき/ピッコロ虫(これはMVもすばらしい)
https://www.youtube.com/watch?v=glKK1hbAUwU
眉村ちあきの自由さとちがって、思いっきり「子供が大人にやらされている」感じなのだけど、大人の策略も、ここまでピタッと決まれば、さぞ「してやったり」という感じだろうし、これはこれですごいのではないかと感じるのがsora tob sakanaだ。このグループは、総合的なプロデュースワークによるタイトなコンポジションによって成り立っているアイドルと言えのではないか。そして、この絶妙な感じ(こういう音楽の上に、こういう言葉で、子供の声がのる感じ)というのは、アイドルという器(慣習的な形式)があることによってはじめて顕在的なものにできる何かであるように思われる。
sora tob sakana/Lightpool
https://www.youtube.com/watch?v=0ywdqfpQB-w
上の二つは、アイドルとしては変わり種だと言えるけど、曲のあり方としても、グループのメンバーの編成としても、ダンスの形としても、現代のグループアイドルの可能性を、わりとベタに追求しているように思えるのが、フィロソフィーのダンスではないかという気がする。
フィロソフィーのダンス/ダンス・ファウンダー
https://www.youtube.com/watch?v=RuicA9qgqng
フィロソフィーのダンス「アイム・アフター・タイム」
https://www.youtube.com/watch?v=sZ84mBWqnDc