2021-11-14

●「無断と土」(鈴木一平+山本浩貴)は、一方で大江健三郎深沢七郎の系列に連なる「天皇制小説」として歴史に残り得る画期的な仕事であると同時に、もう一方では、荒川修作+マドリン・ギンズが構想した「共同性」の概念に明確な像を与えているという点でも画期的であるように思う。

荒川+ギンズについて、その「死なない」ための探求についてであれば、面白がったり、興味をもったりする人も少なくないだろうが、彼らが考えていた「共同性」について真に受けている人はそう多くないのではないかと思われる。多くの場合、「まあ、それはそれとして…」という感じでお茶を濁すか、あるいは、荒川+ギンズが「言っていない」ことまでを動員し補強して、何となくもっともらしい形にとりつくろったりする場合が多いように感じる(とはいえ、ぼくはあくまで日本語の環境下でしか荒川+ギンズについて知らないのだが…)。ぼく自身もずっと、荒川+ギンズの「共同性」についてはどう捉えたらいいのか分からず(普通に考えて超危険だよね、と思うのだが)、考えあぐね、態度を決めかねている状態が長く続いている。

しかし「無断と土」では、恐怖についての分析と記述を通じて、荒川+ギンズにおける「共同性」の概念の根本のところが明快に示されているように読めた。これは本当に驚くべきことだと思うし、とても驚いた。そして、荒川+ギンズ的な「共同性」の概念を通して透かし見るように、天皇制の可能性と危険性が考察されているように思う。