2023/10/24

⚫︎(一昨日からつづく)「土の中の彼女の小さな犬」の核となる出来事で、《若い女》がとる行動はとても奇妙で、すんなりとは受け入れ難い。八歳の頃から八年間共に暮らしたマルチーズが死んだ時、彼女が、その棺となる木の箱のなかに、彼女自身が貯めていた三万円が記帳されている預金通帳を入れ、犬と一緒に庭に埋葬する。この行為については納得できないこともない。それはその時点での彼女の全財産であり、三万円という額とは関係なく、その時の彼女の存在そのもの、あるいはマルチーズと過ごした八年間を象徴するオブジェクトであるとも言える。

しかし、その約一年後、彼女の《いちばん仲の良い友だち》の父親が失職し、経済的危機から学校を辞めなければならないかも知れないと相談された時、犬の墓をあばいて預金通帳を取り出そうとするということを、どう考えればいいのだろうか。これは一見、「八年間共に暮らしたマルチーズ」の存在と「今、いちばん仲の良い友だち」の存在が天秤にかけられ、後者に重きが置かれたというようにみえる。そうであれば、彼女の消えない「右手の匂い」はマルチーズに対する罪の意識であり、現在の利益のために大切な過去を捨ててしまったという後悔だ、ということで済ませられる。しかし、ここで「三万円」の持つ意味が全く違っている。犬と共に埋められた三万円(というか、預金通帳というオブジェクト)には、その時点での彼女の全財産であるという重みがかかっているが、墓から暴かれた三万円は、ただ、現世での三万円分の価値しかない。その三万円で友人が救えるわけではない。

だからここで問題は、「彼女が間違った交換をした」ということだと思われる。「犬との日々」を支払うことで「友だちとの友情」を得るはずだった交換が成り立たず、この間違った交換(交換の失調)によって、犬を裏切ってしまっただけでなく、友だちとの友情も失調させてしまった、ということなのではないか。

ここで思い出すのが「パン屋再襲撃」という、この小説の三年後に書かれた短編だ。ごく短い小説なので、サクッと読み返してみた。

おそらく、ノリと勢いで一気に書かれたのではないかと思われ、村上春樹の小説には珍しく、遠回りするような持って回った感じがない。一つ一つの言葉や文が、投げ捨てられるように小気味よく重ねられており、あえて軽薄な比喩を重ねるような、ドレスダウン的な感覚もある。二人共が《理不尽と言っていいほど圧倒的な空腹感》で真夜中に目覚めた夫婦が、その空腹がたんなる空腹ではなく《呪い》であり、その原因は夫が過去に行った「パン屋襲撃」の失敗(というか失調)にあると思い至った夫婦が、今すぐにでもその「やり直し」をしなければ二人の関係そのものが危うくなると判断し、「パン屋再襲撃」を企てる。

現在と過去では多くの点で異なっている。パン屋襲撃を計画したかつての夫と(妻ではない)かつての相棒は、働いてなくて、お金もなく、そもそも働くことを罪だと考えていた。今では、夫婦ともに働いていて、お金持ちではないとしてもお金がないわけではなく、働くことは当然と考えている。かつての夫と相棒は、働かずに空腹を解決するために、パン屋を、それも《親父が一人でパンを焼いて売ってい》るような小さな個人経営のパン屋を襲撃することを考える。だが襲われたパン屋の親父は、ワグナーのレコードを一緒に最後まで聴いてくれたならば、パンは好きなだけ持って行ってもいいという交換条件を提示し、夫と相棒はそれを受け入れて襲撃を止める。その平和的「交換」が間違っていた。あくまで、奪い取らなければならなかったのだ、と。

夫婦は「再襲撃」のために車を走らせるが、深夜に開いているパン屋などなく、代替物として深夜営業の(グローバル企業である)マクドナルドを襲い、ビックマック30個の強奪に成功する。夫婦はビッグマックを腹一杯食べ、夫が満足げに朝を迎えるところで終わる。しかしもちろんこの終幕は偽の終幕だ。既にビックマック30個程度なら買うことのできる、そのような経済体制に組み込まれた夫婦がマクドナルドを襲ったとしてもごっこ遊びにもならない。「パン屋再襲撃」は成功などしていないし、そもそも「再襲撃」など不可能で、もはや取り返しがつかないのだ(右手の匂いは消えない)ということこそが、この小説ではアイロニカルに書かれている(まあ、80年代っぽい)。

「土の中の彼女の小さな犬」では個人的な出来事だったものが、「パン屋再襲撃」では資本主義批判(社会批判)みたいな構えになってはいるが、やってることは変わらないし、「土の中…」から「パン屋…」になって特に発展した何かがあるわけでもない。だからこそ、こういうことではなく、きちんとした「物語」をがっつり構築するという方向にいかなければならないと考えたのではないだろうか。だが、それを検証するためには長編を読み返さなければならなくて、今のところは、そこまでする気はない。