2022/03/07

●『ウェンディ&ルーシー』(ケリー・ライカート)をU-NEXTで観た。ケリー・ライカートを観たのはこれで四本目だが(『ライフ・ゴーズ・オン』『ナイト・スリーパーズ』『オールド・ジョイ』)、静かにじわじわハマりつつある。この映画など、アメリカという風土のなかで生まれたブレッソンみたいな感じすらある。

貧乏というのはこういうことなんだな、と思う。ボロボロの自動車でも、それがなんとか「走っている(機能している)」限り、そのおかげでギリギリ最低限で生活(と希望)がなんとかまわっている。しかし、車が動かなくなった途端に、いままで成り立っていたあらゆるものが崩れ、失われる。一線を越えると崩壊はなだらかでなく一挙に訪れ、そして不可逆的だ。もっとマメにメンテナンスをしておけば、ボロ車でももっといけたかもしれない。しかし貧しい故にその余裕はなく、その余裕のなさこそが命綱であるはずのものの寿命を短くしてしまう。

エンジンがかからないことで移動手段としての車を失い、先行きの不安からか小銭をケチって万引きしたことでルーシー(愛犬)を失い、修理に出すために住居としての車を失う。多くを失ったウェンディははじめての街で立ち尽くし、様々な慣れないものに接することになる。自分と逆向きに移動する者たち、案外優しい他人、しかしその「優しい他人」もまた貧しいこと、自分の正しさで他人を裁くことに疑いをもたない者、公共の施設や機関(警察や公衆トイレや保健所)の機能と役割り、空回りする焦燥、ふと訪れる無為の時間、停滞し何もしなくても常にお金が必要なこと、そして、呪詛を吐く他者のむき出しの悪意。

良いことと悪いことがある。良いことはルーシーが無事に見つかったこと(公共機関=保健所が機能する)。悪いことは自動車のダメージが予想以上で修理代を捻出できないこと(お金にかんしては誰も彼女を助けられない)。彼女は故郷を離れ(おそらく故郷には仕事がない)、仕事が多くあると聞くアラスカに向かう途中だった。移動手段が失われ。そして「この街」にもまた仕事はなさそうだ。ウェンディは(良さそうな飼い主に保護されていた)ルーシーをこの街に残して、貨物列車に無賃乗車して一人で目的地を目指す。とても美しい貨物列車のカットではじまるこの映画は、貨物列車のコンテナのなかのウェンディで終わる。

(ウェンディにいろいろ親切にしてくれた老いた警備員が、彼女が街を去るというので「いいからとっておけ」と言って渡すお金が驚くほど少額であることの悲しさ。彼もまた彼女と同様に貧しく、崩壊一歩手前のギリギリのラインにいるのであり、この映画では「お金」にかんして誰も彼女を助けられない。他人は案外優しいが、お金は決して優しくない。そして、公共施設は、お金のないウェンディの生を最低限度のラインで支える。)

●車を修理に出したので仕方なく森のなかで眠るウェンディは、夜中に、荒い息づかいで他者や街への呪詛を吐きつづける男の気配を近くに感じて目覚める。彼女の目覚めに気づいた男は「こちらを見るな」と言ってさらに暴力的な気配を発しながら言葉をつづける。彼女は恐怖で固まってしまう(闇に浮かぶウェンディの目)。幸い、男は彼女に何も危害を与えずに立ち去るが、ウェンディは極度の恐怖に包まれ震えたまま街を走る。走り、走りつづけるが、行き場所はどこにもない。お金もなく、街に知り合いもいない彼女の恐怖を受け止め、つつんでくれる唯一の場所は、夜中でも灯りの点る公衆トイレのみだった。公衆トイレの冷たくて無愛想な光・感触が、彼女に朝までの居場所を提供する。ここでも公共施設が(最低限ではあるが)彼女を守ったのだった。これが貧しいということのリアルだろうか。

●保健所からルーシーの保護先を教えられたウェンディがその家へ向かう。手には、長めの木の枝が握られている。彼女の視線の先にある家から老人が一人出てきて、車に乗ってどこかへ出かける。ウェンディはそれを見送って庭に入り込む。庭には金網が張ってあり、その向こうに佇むルーシーの後ろ姿。互いが互いを認めて近寄り、抱擁しようとするが、金網は胸辺りまでの高さがあって上手くいかない。金網の隙間からキスを交わすウェンディとルーシー。しかし金網が邪魔になり充分触れ合えない。そこでウェンディが木の枝を持ち出す。彼女が金網の向こうへ枝を投げ、犬がそれを咥えて戻ってくる。彼女が枝を受け取ろうとしても犬はしばらく咥えたまま離さない。しばらく続く、枝を媒介とする二人の引っ張り合い(力の交換)が、金網で隔てられた二人を、直接的な抱擁以上に生々しく触れ合わせる。少し経つと犬は枝を離し、ウェンディは再度それを投げ、ルーシーはそれを彼女の元に返す。そしてしばし引っ張り合う。金網による隔たりと、枝を媒介とした触れ合い。この繰り返しのなかで、ウェンディは、庭のある家に住む保護主のいるこの場所にルーシーを残して去ろうと決心する。車がないの、と語りかける彼女と犬の表情の切り返し、そして、見送る犬と立ち去る彼女の後ろ姿の切り返し。この一連の展開のなんとすばらしいことか。

警察(公的機関)の介入が二人を引き離し、しかし、保健所(公的機関)の仲介で二人は再び出会えた。だがここで、車の不在(それは、お金がないということの結果だ)が、二人をより決定的に分離させる。他者の優しさや公的機関の仲介は二人の別離を救えない。二人の関係の強さを具体的に描写しながらも、この悲劇を、感傷を交えずに提示する。

(警察で、指紋を入力するところをしつこく描写しているのが面白い。一度目は失敗して、再び呼び出されてもう一度やらされる。)