11/16(火)
(今日のはちょっと、混乱してて、わけ分らないかも・・・)
ぼくは書く、という言葉を書くことと、実際に、今、ぼくがこうして書いている、という事実そのものは、全く別の事柄だ。ぼくが、今、現に、生きている、という事実と、ぼくは生きている、と、書いたり、言ったりすることとの間には、決定的なズレがある。
この違いが分かっていない人は、作品をつくることも、理解することも出来ない。
作品が作品であるために必然的に持たざるを得ない「抽象性」と、その作品が実際に(物理的に)どのように存在しているのかという「具体性」という、全く異質な二つの次元が共存している。
(これを「内容」と「形式」という言い方に直してしまうと、重要なことがみえなくなる。)
言いたいことを素直に言うだけでは、本当は言いたいことなどなにも言えていない。というか、人は、自分が言いたいと思っていることと、違うことしか言うことが出来ない。もっと言えば、言いたいと思っていたこと、よりも、実際に言ってしまったこと、の方が、はるかに重要だ。言ってしまったこと、こそが事実なのだ。(つまり、精神分析って、そういうことでしょ)
だとしたら、「私のこの作品のコンセプトは・・云々・・」などと"言う"ことに何の意味があるのか? 作品、というものの"ありかた"ってもっと複雑なものだし、それに、複雑でない作品に何の意味がある ! 、というか、意味が濃くて複雑でないものを、なんでわざわざ苦労してつくる必要があるの? なんでわざわざそんなものを見る必要がある? 単純なものを面白がるほど、ぼくには(自分が生きている、ということに対して)余裕がない。薄っぺらで希薄なものを持ち上げて、みんなで盛り上がって楽しんだりしている、時間の余裕があるのか? 人生の時間は限られてるのに。
今日は、可燃ゴミの日。ネズミの死骸を捨てる。午後からアトリエで制作。