03/11/19

●昨日、横浜美術館で買ってきた『中平卓馬の写真論』に収録されている『なぜ、植物図鑑か』を読んだ。これを読むと、中平氏が自分自身の作品に対して驚くほど自覚的であることが分かる。このエッセイは70年代のはじめ頃に書かれたものだろう。70年代とはどのような時代かと言うと、それは恐らく68年の挫折(幻滅)の後の時代ということだろうと思う。このエッセイが重要なのは、中平氏にとっての68年的なものに対する落とし前として書かれているからだろう。祝祭の熱狂は大したものは生み出さないが、祭りの後の白々とした空気のなかでこそ、生々しくリアルなものが露呈される。70年代前半とはそのような時代だったのではないだろうか。(勿論、その一方で「喪失」を巡る甘ったるくて感傷的な物語がシラケというシニシズムと結託して大量に生産されもしただろうが。)恐らく、柄谷行人蓮實重彦の初期の仕事とはそのようなものだったのではないか。(あるいは、アングラ的なピンク映画と東映やくざ映画が同じ様なメンタリティによって受容されているような場所に、にっかつロマンポルノの神代辰己や『仁義なき戦い』の深作欣二がつきつけたリアリティとか。)中平氏の『なぜ、植物図鑑か』からは、そのような動きと響き合うものが感じられる。(中平氏が実際に参照しているのは、ロブ=グリエやル・クレジオ、あるいはゴダール、あるいはリキテンシュタインやウォーホル、あるいはエンツェンスベルガーなのだけど。)

70年代は、60年代(68年)の後であると同時に80年代の前でもある。つまり、経済成長期から消費社会へと移行してゆく移行期であると言える。以前、テレビでつのだ☆ひろが、70年代の音楽とはビートルズ以降、モータウン以降ということで、つまりメインストリーム(大きな物語)がなくなって、雑多ものが次々と現れては消えた時代なのだ、と言っていた。しかしこの雑多なものは、80年代に近づくと「多様な商品を提示するカタログ」(ポストモダン的な多義性)としてフラットな平面の上に整理される。(雑多ではなくなる。)『なぜ、植物図鑑か』が重要なのは、一方で60年代的なものとして、私的なポエジー(私の感傷や情念を世界へ押しつけること)を批判して「事物の視点(事物の方から「私」へ向かってくる視線)」を強調し、もう一方で80年代以降に本格化する消費社会的なものへの批判として、写真というメディアの社会的な発現形態についての探求を通じての、メディア的なイメージのあり方をも共に批判している点にある。前者はいわば自己批判であり、私と世界との関係の探求へ向かうが、後者は他者との関係、人間と人間とを関係させるための「イメージ」に関わることであり、この探求は必然的に政治的、社会的なものへと向かう。この二重性が、移行期としての70年代においてこそ芽吹いた思考であることを徴付けているとは言えないだろうか。そしてその2つの批判を厳しく追及してゆくことから、中平氏は「植物図鑑」というコンセプトをつくりあげる。

平氏が「図鑑」を「カタログ」に極めて近いものとしていることからも分かるように、それは消費社会的なもののごく近い場所にある。しかし、極めて近いが「別のもの」である。この微妙な差異にこそ、中平氏の「リアリズム」のあり方が賭けられていると思う。

《たしかに一枚の写真をとりあげてみる限り、それは私という一点から一方的に覗き見た空間を呈示しているにすぎない。だが一枚の写真の空間に限定するのではなく、時間と場所に媒介された無数の写真を考える時、一枚一枚の写真のもつパースペクティブは次第にその意味が薄められてゆくのではないか。つまり、そうすることによって時間に媒介され、無限に乗り越え、乗り越えられるもの、それはまさしく世界と私、それら二元対立をつつみ込んだ場としての世界の構造を明らかにしてゆくことが可能なのではないか、ということなのである。》

しかし、《よく考えてみれは、このようなパースペクティブの崩壊はわれわれが生きざるを得ないこの日常生活の次元ではさらに広く深く進行しているとも言えるのだ。マス・メディアが恒常的にわれわれに向かって送りつけるおびただしい量のイメージは、その各々を限って言えば、必ずひとつのパースペクティブに基づいているものであるが、しかしそれを同時多発的に、またわれわれの感受力のあらゆるレベルにおいて受け取るわれわれの側から言えば、それらはもうすでにそられすべてを一点において回収する私のパースペクティブの成立そのものを不可能にしてしまっているとも言えるのだ。》《事態がここまできてしまった以上、もはや遡行は不可能である。あえてそれを逆手にとること。われわれは<人間>の敗北を認め、事物が事物として存在するこの世界に人間が人間として存在する、けっして特権的なものではありえないが、しかし正当なる場所を探し出すことが先決ではないだろうか。それがまったきニヒリズムの領域か自由の領域であるのかは、かつてわれわれはそのような時代を生きたことがない以上、ある意味では論じてもはじまらぬことである。》《われわれには今こそこの時代の徴候をさらに顕在化し、露わにしてゆくという作業がのこされている。》

《あらゆるものの羅列、並置がまた図鑑の性格である。図鑑はけっしてあるものを特権化し、それを中心に組み立てられる全体ではない。つまりそこにある部分は全体に浸透された部分ではなく、部分はつねに部分にとどまり、その向こう側にはなにもない。(略)そしてまた図鑑は輝くばかりの事物の表層をなぞるだけである。その内側に入り込んだりその裏側にある意味を探ろうとする下司の好奇心、あるいは私の思い上がりを図鑑は徹底的に拒絶して、事物が事物であることを明確化することだけで成立する。》(まあここは、図鑑は「分類の体系」という全体に依っているではないか、並置はそれによって可能になっているのではないか、というつっこみもあり得るけど。しかし実際に中平氏の作品を観ると、そこには並置を正当化する文脈があらかじめ与えられているのではないことが分かるだろう。)

しかし、この一見とりつくしまもない「図鑑」というコンセプトは、「植物」によって微妙な揺れが導入される。《ではなぜ植物なのか。(略)動物はあまりになまぐさい。鉱物ははじめから彼岸の堅牢さを誇っている。その中間にあるもの、それが植物である。(略)それは有機体なのだ。中間にいて、ふとしたはずみで、私のなかへのめり込んでくるもの、それが植物だ。植物にはまだあるあいまいさが残されている。この植物がもつあいまいさを抑え、ぎりぎりのところで植物と私の境界を明確に仕切ること。それが私の秘かに構想する植物図鑑である。》この時、「植物」という言葉が追加されることで生じる微かな揺れのなかに、アーティストのしての中平氏の存在が滑り込む隙間がある。これを「甘さ」と言うべきなのだろうか。しかし、例えば昨日観た「原点復帰--横浜」は、その微妙な揺れの振幅によって、とても不思議な作品となっているように思えた。

●中平氏の写真が、イメージは明快であるのに見えづらく、そしてフレーム内部で閉じた感じがしないのは、つまり「部分は全体に浸透された部分ではなく、部分はつねに部分にとどま」っているように見える理由は、恐らく、フレームのなかに空間というか、パースペクティブが成り立っていない、成り立たないような距離感やフレームの操作を行っている、からではないかと感じた。つまりフレーム内部ですらイメージの位置が確定しない。(だからフレーム内部で完結しない。)そしてもう一つ、中平氏の写真には風俗的な意味で時間を感じさせるようなものが写っていない。例えば、昭和初期を感じさせる建築物とか、70年代風のファションだとか、そういうものが感じられない。70年代の猫と90年代の猫、あるいは、80年代のたき火と2000年代のたき火との違いなど分かるはずもなく、人物や建物を撮る時でも、なるべくそのような「風俗的な時代性」を排除しているように思う。(場所が特定されるような記号も極力排除されている。)そこには、イメージが時代性という文脈に回収され、ノスタルジーを発してしまうのを嫌うという意図があるのだろう。(時間性はフレームの内部にあるのではなく、ある一枚と別の一枚との「間」にある、ということか。)中平氏の作品は、ある意味で素朴なリアリズムとも言えるようなイメージを実現させるために、あらゆる意味で文脈に回収されないような配慮がなされているのだと思う。