●夢のなかでかろやかに跳ねるように階段を昇っていて、そのせいで、眠りながらも実際に足が蹴り上げるようにびくんと動いてしまい、その自分の動きで目が覚めた。あと、具体的な内容は忘れてしまったのだが、夢のなかで、この夢は昨日も同じものをみた、と思い、その先の展開の隅々までも全て前もって「読めた」と思ったことを憶えているのだが、これが本当に同じ夢をくり返しみたということなのか、あるいはたんに、夢のなかで「同じ夢をみた」と思ったというだけなのかはよく分からない。だいたい、夢でみた具体的な映像やその感覚は憶えていないのに、「同じ夢をみた」と言葉にして思ったことだけを憶えているということからして、あやしい。
●部屋に居て、焦げ臭いにおいがしたので部屋を見渡したのだが火の気はなく、外に出てみたら、アパートの裏の駐車場で、木の枝や雑草を刈り取っていた爺さんがたき火をしていたのだった。駐車場にはかなり広いスペースがあるとはいえ、こんな住宅街のただなかで、煙をもうもうとたててたき火をしていて近所から苦情がこないのかと、少し心配になった。そういえば子供の頃はぼくの実家でも、このアパートの裏の駐車場に比べればはるかに狭いスペースしかない庭で、しょっちゅうたき火をしていたのを憶えているのだし、学校の帰り道などでも道ばたでたき火をしているのを見かけたりもしたと思うのだが、それが何となく「はばかられる」ような感じになったのは、一体いつ頃からだっただろうか。「普通」という感覚は、まわりの状況にあわせていつの間にかかわってしまうのだけど、その「感覚」は一度かわってしまえば、あたかもずっと前からそれが「普通」であったかのように思えてしまい、変化の時期や、その時に感じた「抵抗」のようなものは忘れてしまうのだった。感覚の変化(とそれへの抵抗感)の痕跡は、記憶や歴史からも、するっとぬけ落ちてしまう。