吉田喜重『嵐を呼ぶ十八人』をDVDで観た

吉田喜重『嵐を呼ぶ十八人』をDVDで観た。いかにも、才気あふれる気鋭の若手監督の作品という感じの映画。それにしても、既に『秋津温泉』を撮っているとはいえ(「松竹ヌーヴェルヴァーグ」というのが、メディアで話題となり、一定の商品価値があったとはいえ)、基本的に新人監督の作品であり、特にスターが出ているというわけではない映画なのに、この画面の豊かさは、大手映画会社の撮影所が機能していた時代の、いわゆる「撮影所の映画」(実際に、撮影所で撮られたのではないとしても)の豊かさなのだなあ、と感じた。シネマスコープの画面のなかで、常に十八人の若者が動き回っている背景がちっとも貧弱ではないというだけではなく、キアロスタミばりの超ロングショットがあったり、野球場での群衆シーンがあったりと、現在の感覚で考えると、この手の映画では信じられないくらい豪華な感じがする画面だった。松竹を退社した後の、独立プロでの吉田作品からは、このような豪華な感じはなくなってしまう。吉田監督的な、あの構図の極端化は、貧しい状況のなかで、画面を貧弱にしないために強いられたものだという側面も、多分にあったのではないかと思った。しかしそれと同時に、このような画面の豊さを捨ててまでも、吉田監督が松竹をやめなければならなかった必然性のようなものも、感じられる映画でもある。映画の端々から、才気を感じるのと同時に、松竹映画として成立させなければならないという、制約の苦しさ(による中途半端さ)も感じられるのだ。だがその一方で、撮影所がある程度機能しているなかで(それによる画面の豊かさを保ったままで)、吉田監督が映画を撮りつづけていたら、どんな作品が生まれただろうか、と想像させるような作品でもある。撮影所で撮られる映画の豊かさを知りつつも、そこを去らなければならなかった世代の引き裂かれた感じというのを、吉田監督の映画は(例えば大島渚の作品以上に)強く感じさせるものでもあると思う。