●書評する本を、とても時間をかけて読み終わり、とんでもないものを引き受けてしまったと思う。この小説集について、あと数日のうちに、原稿用紙六枚程度の「書評」を書くということが、なにか途方もないことのように思われる。この作家は、小説においては、デビューした約三十年前からほぼ同一のことがらを追求しつづけているのだなあと思うと同時に、しかしそれが三十年つづけられることで、練られ、煮詰められて、もう、ほとんどそれ以外にはあり得ないであろうという形にまで凝縮されている。つまりそこには、幻想や希望や思い入れが入り込む余地がない。それが、そうでしかあり得ないことの必然性が、理詰めで、淡々と追いつめられている。そうしたものを前にして、一人の作家の(人間の)存在や運命を重く感じる以外に、ぼくなどが何か口を差し挟む余地などあるのだろうか。
五編の、互いに緩やかに関連し合う短編で構成されている本なのだが、それでも、最初の四編は、読みながら、まあ、ぼくでも何とかそれを受け取り、何かしらのことを書けるのではないかという感じで読んでいたのだが、最後の一編でぶっとんだ。これを書きたいがために、こんなに遠回りをするのか、と思う。いや、この最後の一編によって、その前の四編の捉え方ががらっと変わる、というべきか。この、複数の人物の関係がつづられる小説集は、たった一人の「男」を描きたいがためにこそ、つづられているかと思った。