●夜、磯崎さんから電話があって少し話した。『世紀の発見』の本は届いたのか、届いているならお礼くらいあってしかるべきだろう、社会人として、と、話は切り出された。磯崎さんは、岩波文庫で少し前に出たガスケの『セザンヌ』を読んでとても感激していて、セザンヌのコンパクトな画集を持ち歩いているという。サンパウロ美術館にある松の絵が好きだと言っていた。おそらくこの作品のことだと思う(http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/cezanne/land/great-pine/great-pine.jpg)。その話とのつながりで、美術書が充実しているという古本屋を教えてもらった。セザンヌの言っていることは、忌野清志郎の言っていることと似ている、と磯崎さんは言う。磯崎さんは、高校の頃、RCサクセションコピーバンドをやっていたそうだ。磯崎さんから「同世代」っぽい匂いのする話を聞いたのは初めてだという気がする。前に電話で話した時は、次の「新潮」に新作が載ると言っていたので、その時ぼくはまだ「終の住処」を読んではいなかった。その時に、今度の小説では、誌面で途中に入る広告まで指定したら、いままでそんなこと言ってきた人は一人もいないです、と編集者から言われたと言っていて、ぼくはその話は冗談かと思っていたのだけど、読んでいると途中に『残光』の広告が入っていたので、あれは本当だったんだ、と驚いた。「終の住処」はほんとにすばらしかった、いままでの最高傑作ではないか、と言った。磯崎さんは、新しく書く度にいつも全部出し切った感じで、次はないんじゃないかと思うと言った。自分では、今夜は絶対女のところには行くまいと「アリ」に誓う場面が好きだ、と。「終の住処」は、「島耕作」とかの読者にも受け入れられる余地があるのではないかと言ったら、最高傑作とか言っておいて、それは酷い言いようではないかと言われた。主人公が、磯崎さんの年齢を追い越してゆくところで、あー、すげー、追い越しちゃうんだと思った、と言ったら、あくまでフィクションだからと言いつつ、それは良い褒め方だと言われた。
●磯崎さんは会話のなかで何度も、これ、偽日記に書いて下さい、と言うので安心して書くけど、普段、人との個人的な会話を、本人の承諾なしで実名でここに書いたりすることはしないです。念のため。