●学校の教室はすくなくとも片側は大きく窓になっていてよく外が見える。朝から雨が降っていて午前中から薄暗い日は、午前中でも外より教室のなかの方が明るい。その違いが教室のなかにいても大きな窓によって常に意識される。薄暗い日の午前に灯されている蛍光灯の光は、外の暗さの質が違うから、夕方遅くなってからの光と違って、どこか嘘っぽい感じがする。午前中なのに外は暗い。午前中なのに、蛍光灯のへんな感じの光に満たされている。例えば、二時間目が終った後くらいの休み時間、教室は普段と何もかわらない喧噪状態にあるから、この違いが、違和感が、いっそう際立って感じられる。それまで普段通り過ごしていたのに、ふいに、教室の喧噪そのものが嘘っぽく感じられてしまう。あるいは、この教室の喧噪だけがこれまで通りで、「ここ」だけ切り離されて、その外側の世界がすっかり入れ替わって別物になってしまったのではないかという不安を感じる。その不安は、世界と自分の限りない遠さ、隔たりという感覚となり、その感覚はとても強烈な寂しさ、よるべなさ、という感情となって、血管を震わせるようにして身体全体にひろがってゆく。学校の教室で、おそらく外側からみたら全く普段とかわらずに行動しながら、身震いするほどに強烈な寂しさの感情に呑み込まれてしまう。それでも普段通りに行動した。普段通りに行動することによってしか、その感情をやり過ごすことができなかった。確か、ようやく学校という環境に慣れ始めたばかりというくらいの、小学校一年生の時のこと。
用事があって、ほんの一駅分だけ電車に乗った。外が暗くて、車内がぼわっと明るかった。空気が湿っぽかった。小学一年のその時の感情の感触を思い出した。教室の光景とか、光の感触とか、匂いとか、空気の湿り具合とか。この感触を、死ぬまでにあと何回思い出すのだろうかと思った。
●原稿の手直し。50枚あったものを40枚弱にまでする。