●今日一日だけで、F30サイズの絵2点と、F25サイズの絵1点、全部で3点も描けてしまった(新シリーズ「geography」の滑り出し)。昨日、掴んだと思った感触は、今のところまだ「まぼろし」となって消えてはいないようだ。昨日も3点とか言ってたけど、昨日のは小さいサイズの板やキャンバスにクレヨンで描いたもので、意識的に描いたというよりぽろっと出てきた感じで、今日のはもっと大きいキャンバスに油絵の具で、意識的に昨日の感触を確かめるように描いたら描けた。興奮で目が眩んでいるのでなければ、どれも皆けっこういい感じ。こういう日が一年に一度くらいはあっていいはず。昨日「掴めた」と思ったことの方向性を、昨日の日記を「書く」ことで掴み直したのも良かったのかも。
最近のぼくの制作はずっと、10点くらい作品をつくっても、自分がやりたいと思っていることを多少でも実現出来ていると思えるものは、そのなかでせいぜい1、2点くらいという感じで、延々とした試みと失望の繰り返しで、自分の実力に対して無謀に難しいことをやろうとし過ぎているのではないかとか、やりたいことに対するアプローチの方法が間違っているのではないかとか思ってもいたのだが、幸か不幸か差し迫った発表の予定もなかったので、淡々と制作をつづけ、その結果、うまくいかない無駄となったキャンバスを大量に発生させつづけていた(基本的にぼくの作品は下書きもプランも無しの一発勝負なので)。
でも、基本的に、絵を描くということは、、「成果」があらかじめ期待される技術の範囲内だけで制作するのではなくて、それ(やりたいこと)を実現するには一体どういう技術が必要なのか分からない、未知の新しい技術を、探求すると同時に習得しようとすることであるはずだから、試みと失望との繰り返しであることは基本設定なのだが。
昨日、今日のこの感じはきっと、六月に入ってからのすばらしい天気によって与えられたものだと思う。とはいえ、この感じが、新しい何かを開いたことになるのかどうかは、今後、「これ」がどの程度にまで「行ける」のかにかかっているわけだ。なので、浮かれずに地味に仕事をつづけます。
●夕方、喫茶店に行って三時間くらい用事をこなし、買い物をして帰る。七時近くてもまだ暗くならず、空は澄んでいる。喫茶店にいる間、何度もアトリエのことを意識した。今、あの場所に、あの位置に、あの作品があるはずだ、と。部屋へと向かう緩い坂道を上りながらも、これから戻るアトリエのことを意識し、昼間「描けた」と思ったあの感じが、帰ってみたらすっかり色あせたものになっていたらどうしようと不安になる。部屋に戻り、鞄を置き、アトリエの灯りを点け、「あの感じ」がそこにまだあることを確認する。