●つづき、「ここで、ここで」(柴崎友香)について。
全長二キロ、高さ四十五メートルの「なみはや大橋」の一番高いところで身動きが出来なくなった「わたし」が、その状態を脱するための目印にするのは《イケア》なのだ。《遥か遠くにイケアの建物が見える。なんとか、あそこまで。》
《バスを降りて橋に辿り着くまで、ほとんど人には会わなかった》ではじまるこの小説の最初の場面は、人々が集う市街地や住宅街とは異なる工場・倉庫地帯にかかる、人が歩いて渡るのにふさわしくないような巨大なスケールの橋が舞台となる。「わたし」は、そのような空間のなかを移動し、空間を記述しつつ、その人気のなさも含めた風景のスケールの大きさに魅了されている。そもそもその場所は「わたし」の生家のすぐ近くでもあり、「わたし」には馴染みの光景でもある。その非人間的感触がそのまま懐かしさのようなものにもつながっているはずだろう。だが、その「馴染み」の感覚が変質する。
《自分が立っていたのは、頂上から少し行きすぎたところで、歩いてきた道路がほんの少し盛り上がってもと来たほうへ延びていた。さっきまで右側だった柵は左側になり、すかすかの鉄柵の間から、暗い水面が見えた。動きがないように見えたさざ波は、確実に大阪湾のほうへと流れていた。
その瞬間、橋が水の流れと反対方向にゆっくり動いたように感じた。自分の足下に高さ四十五メートル分の、何百メートルにもわたる広大な空間があることが、その虚空が、一瞬にして体の芯を貫いた。》
起こっていることは単純であろう。入力された感覚の(神経系による)解釈のエラーが、平衡感覚のエラーを生み、橋が傾いているかのように感じられたということだ。この種のエラーはありふれているし、それを利用したビックリハウスのようなアトラクションもあった。しかしここで、この単なる平衡感覚の揺らぎが、空間的な認識の基本的な枠組みまで動かしてしまったという点が重要であろう。それまで、馴染んだ土地に付随する懐かしさ(安定)の感触と結びついていた空間のスケール感が、平衡感覚の揺らぎ=身体(生命)の危機という強い感覚がトリガーとなって反転し、巨大な虚空として(虚空の「実感」として)「わたし」の躰を貫いたのだ。まさにこの時の「わたし」は、虚空という感覚のなかに落下したと言ってよいのではないか。そして、ここで身動きできなくなった「わたし」が頼りとしたのは、もう一つの別の「懐かしさ(世界との「馴染み」の感覚)」としての「イケア」だったのではないか。そのイケアは、小説の終盤で、《工場も植物園も地下鉄もショッピングセンターも実現しなかった埋め立て地に、唐突にできあがった北欧の家具店は、横浜や船橋の店とそっくりで、別の場所にワープしたのかと錯覚しそうになる》と書かれることになる。冒頭近くでも、《イケアの駐車場は空いていたが、やってきた送迎バスには人影が見えた》と書かれる。つまりイケアは、非人間的な空間スケールであるその一帯で、例外的に「人々の集う場所」としての「懐かしさ」を形成している。その懐かしさによって、「わたし」は、昨日書いた(2)の危機、《誰も気づかないあいだに実行する》という命令的自動運動に抗しようとしているのではないか。
●一つ目の場面につづく二つ目は、三人の人物が電車のなかで会話する場面で、空間のスケールの広大さの描写と、そこでの虚空への落下だけが何の説明もなしに提示されていた一つ目とは異なり、比較的、普通に小説的なものとして受けとることが容易だ。あるイベントの帰り道、二年ぶりくらいに会った友人の「さちほ」と、イベントで初めて会った、知り合いの知り合いである奈良原さんとの会話のなかで、一つ目の場面が説明され、その時点で一つめの場面から《一年半くらい経つ》とされ、浮遊した場面が時間軸上にも位置づけられる。
まず、何の説明もなしに何かがどーんと提示され、それにつづく場面で、前の場面の「位置づけ」が遡行的になされる、というのは、物語の語られ方としてきわめてオーソドックスであるとさえ言える。一つ目の場面には、予想できない何事かの出来-世界の変質-時間の前へ進行があり、二つめの場面では、それが起こってしまった後で、その出来事の遡行的意味づけが探られる(時間の逆行がある)。出来事(順行する時間)と、その繰り返しの解釈(逆行)、しかし、解釈1と解釈2との間には、時間の(小さな)順行がある。このような物語の語られ方こそが人間における「時間」を規定しているように思われる。しかしここでは、提示される一つ目の場面と二つ目の場面との「関係」が、三つ目の場面で描かれる「事柄そのもの」と密接な関連性があるというところが面白いのだ(この点については、三つめの場面のところで書くつもり)。
●二つ目の場面での三人の会話の描出はまさにこの作家の特質である複雑で活き活きとした動きに満ちている。一方は、初対面の年上の男性、もう一方は、二年ぶりに会うという古い友人の(おそらく同年代の)女性。「わたし」の二人に対する距離感の違い、二人の性質の違い、が、発話とその反応によって的確に描出され、それと同時に、終電である電車内の光景が描かれ、そのなかで、「わたし」の一つ目の場面に対する考えなども述べられる。
だが、ぼくが二つ目の場面でもっとも印象深かったのは、次のような文の連なりだった。イベントは「三宮」で行われた。
《三宮を歩いたのはおそらく十年ぶりぐらいで、駅から会場のカフェまでの十分ほどの距離だけでも暑かった。以前にその上り坂を歩いたことがあったかどうかもわからず、風景が前と違うのか違わないのか思い浮かばずに、初めて訪れた街のようにも思った。特に、さっき坂を下って駅に出るまで、露出部分の多い恰好をした女の子たちが酔っ払って大騒ぎしているのがタクシーのヘッドライトに照らされているのを見たとき、それでもなぜか街全体が健全に賑やかなように感じて、考えてみたら終電間際の時刻に三宮にいたことは今までになかった。》
一体、この文章は何を言っているのか。いや、言っていることは分かるのだが、その繋がり方が不思議なのだ。最初の文も、「三宮を歩いたのは十年ぶりくらいだ」と、「駅からカフェまでの距離だけでも暑かった」という二つの文が並ぶのならば不思議はない。でも、なぜ、「十年ぶり」と「暑かった」という因果関係のない二つの事柄が、前振りとオチみたいにして、「で」で繋げられているのかという違和感が湧く(離陸に対する着陸が変)。その理由は、「十年ぶり」であるという事実が、「暑さ」の感覚と同様に否定的なものであるというニュアンスを生むために、この接続がなされているということであろう。その否定的なニュアンスは、街への馴染みの無さを書いた二つ目の文へと引き継がれる。
そして、《特に》ではじまる最後の文。ここでの唐突な時間の飛躍も気になるのだが、この「特に」は一体なにを強調しているのか。普通に考えれば、一つ目、二つ目の文につづき、三宮という街への違和感(馴染まない感)が強調されるのだと(文を読む前には)予想されるだろう。実際に文は、こんな時間まで三宮にいたことはなかったという風に「否定」によって終わる。しかし、内容的にはその逆のことが言われているように読める。
「露出の多い女の子たちが騒いでる」のを見て、「街全体が健全に賑わっている」と感じ、その「露出の多い女の子が騒ぐ健全な賑わい」のイメージから、そういえばこんな遅くまでここにいたことはなかったと思い出す、ということ。でも《終電間際》まで《いた》ことはなかったと思うのだとすれば、終電間際ではない、もっと早い時間に《いた》ことならば、帰りの時点では思い出せている(あるいは実感できている)ということになるのではないか。そして、この文全体は、《特に》と語り出された時に読者が予想するような、三宮への距離感(馴染みのなさ)というよりも、むしろ《健全な賑わい》という、どちらかというと肯定的な、好意や愛着や馴染み深さに近い感覚を描きだしている。一体どこを通ってどこに着地するのかよく分からない文の進み行きによって、読者は「特に」と語り出される時に予想されるものとは別の場所へと連れていかれる。この作家の小説には時々、このような、戸惑ってしまうような過激な文が、あたりまえのにようにこっそり忍ばせてある。
この点を考えると、引用部分が、一つ目の大橋の場面のあり様と(逆向きに)響いているのが読み取れるのではないだろうか。つまり、昼間、カフェまで上り坂をのぼっている時点では、三宮に対して懐かしさ(世界への「馴染み」の感覚)は得られてはいなかったのだが、夜になった帰り(下り)道で、女の子たちが大騒ぎしている様を見て、「人々の賑わい」を感じ、「馴染みがない(見たことがあるのか、ないのかさえ分からない)」という感覚が後退して、「馴染み」の感じが生まれ、その感覚によって、三宮にかつても《いた》ことがあったという「実感」を取り戻した(あるいは、その時に新たに生まれた)ということなのではないか。つまり、人々が集うその賑わいが「馴染み」の感覚(実感)を生み、街への感触が変化した、と。この感じは、(2)の事柄と共鳴ししつつ、場面としては、最初の場面と逆向きに展開しているように思われる。
とはいえ、《健全に賑やか》というのが一種の反語的表現(「健全」過ぎて馴染めねーんだよ、的な)であるとすれば、ごく普通の文の連なりとも読めるので、ここまで書いたことはすべて意味がなくなるのだが…。
つづく。