●ゲラになった状態で自分の書いた小説を読んだ。自分が書いたのだから当然なのだが、自分にとっては面白い。文芸誌のページにしてわずか12ページしかなく、あっさり読み終わってしまう短い小説だけど、これだけ書くのに半年くらいうんうんうなっていたのだ。
(来月発売の文芸誌に掲載される予定。)
短い小説を半年もかけて書いたというと、綿密に構想を練ったとか、何度も何度も書き直したみたいな感じだけど、実際には、今回の小説は最初に書いたもの、ほとんどそのまま。構想もなにもなく、最初の場面のイメージだけがあって、あとはそこに、自分自身の予想を自分で裏切るような場面やフレーズを、なんとか絞り出しては、一つ一つ付け足して、繋げてゆく。そして、ある場面を書いた時に、あれ、これで終わっちゃったな、と思って、そこでやめた(もうちょっと長くつづけるつもりだったし、こんな終わり方になるとは全然思っていなかったので、えーっここで終わっちゃうのか、と思った、すとんと落ちるようにいきなり終わってしまった)。だからこれはほとんど書き飛ばした一発勝負のインプロビゼーションだと言えるのだが、しかし、一晩でそれをやったならインプロビゼーションと言い易いけど、半年もかかっているとそうは言いづらい。
でも、半年かけているとはいえ、一度書いた場面を削ったり、場面の順番を入れ替えたりしたところは一箇所もないので(書き足す度に最初から読み返すのだが、その読み返しのなかで途中の文を直すことはあるけど)、つまり、書き足したことから逆算(遡行)して前を直すということはしていなくて、一度やってしまったことは基本的には(微調整はしたけど)動かさずに、それに対する付け足しのみをしていったのだし(これは絵を描くときと同じやり方だ)、それが途切れたところでそのまま終わりとしたのだから、やはり超スローの(遅々とした歩みの)インプロビゼーションと言ってもいいのではないだろうか。
●前の小説(「ライオンと無限ホチキス」)は、一か月くらいで書いた第一稿を一年近くかけてかなり大きく直したのだけど、今回のは、第一稿を半年かけて書いて、それをそのまま完成とした。どちらも原稿用紙に換算すると34〜6枚くらいのとてもとても短いものなのだが、今のぼくにはそれが精いっぱいのペースみたいなのだ。
●前の小説の出発点にあったのはヴァージニア・ウルフの数ページの掌編で、今回の出発点は郡司ペギオ-幸夫の短いエッセイだった。どちらも、書きだすきっかけというか、背中を押してもらったものという感じで、書いている間、そのことをずっと考えていたというわけではない(ただ基調として、世界の二人称性というものは常にあった)。あと、自分では、バベルの図書館に入っているルゴーネスと、グロタンディークの自伝(みたいな変な本?)を読んだことで、そこにある「空気のようなもの」に強く影響を受けているように思っている。