●『屍者の帝国』(伊藤計劃×円城塔)を読み始める。二部まで読んだ。ぼくは、伊藤計劃は文章がちょっと苦手で、『虐殺器官』は何度かトライしたけど途中でやめてしまっている。今回も、最初の方を読んでいる時は、ちょっときびしいかも、と思っていたのだけど、ある時ふと、これはアニメだと思って、アニメを観る時のモードで読めばいいのではないかと気づいて、そう思ったとたんにすんなりと読めるようになった。Production I.Gボンズサンライズが提携してつくった、野心的でマニアックなSFアニメ、2クール+αで、全26話で語られるくらいの規模の物語、みたいな感じをイメージして。物語が(ネタの仕込み方とかも)『ルパンVS複製人間』みたいなテイストでもあり、主題やその扱い方もアニメに近い感じがするので、他のアニメ作品との参照関係みたいなことも考えられる。そういう感じで読むととても面白い。もちろん、これが正しい読み方だということではなく、ぼくにとっては、そう読むと面白く読める、ということだけど。
●アニメといえば、『LUPIN the Third 峰不二子という女』をDVDで2話まで観た。3話収録のDVDを借りてきて2話までしか見なかったのは、ちょっといたたまれない感じになってしまったから。「ルパン」はもう完全に(少なくともぼくにとっては)死んでしまったのだなあと感じてしまった。PVがすごく良かったし、峰不二子を中心として、モンキーパンチの原作のテイストに近づけて、というコンセプトも良いと思っていたので、期待が大きすぎたせいもるかもしれないけど、やっていることの一つ一つはわかるのだけど、それらが総合された「作品」としては生きていないというか、既に死んでしまったキャラのゾンビが、死んだことを自覚せずに生きていた頃の記憶を反復しているような、そういうむなしい気持ちに観ていてなってしまった。作品全体を覆う過度な装飾性が、死化粧のように感じられてしまった。
(はじめから「そういうもの」として観ればまた別の味わいがあるのかもしれないけど、「ルパン」をどう蘇生させるのか、みたいな関心から観てしまったから。)
あと、デフォルメのバランスがすごく悪いのが気になった。モンキーパンチの絵柄は基本的にグラフィカルなもので、画像が止まっていることが前提になっていて、それは動くことが前提であるアニメの作画とはなかなかうまくからまないのではないかと感じられた。そういう意味では、第一シリーズでの大塚康生による、原作のテイストをある程度生かしつつ、アニメ的にデフォルメするという仕事の偉大さが改めて感じられた。
●もう一つアニメについて。『カオスヘッド』、『シュタインズゲート』につづくシリーズだというのですごく期待している『ロボティクス・ノーツ』の1話を観た。でも、1話だけではまだ何もはじまっていなくて、予告編を見せられた感じ。いろんな「伏線の気配」があるだけで、まだ、「面白そう」かどうかさえ分からない。「ガンヴァレル」って「ゲキガンガー」なのか、とか思うくらい。ちょっと気になったのはヒロインのキャラクターで、「わたしの強い気持ちを他人が受け入れてくれるのは当然だ」という「傲慢さ」のことを「前向き」だととらえているようなキャラを受け入れるのは難しい。この感じが今後どうなるのかけっこう微妙なところ(それこそ「ナデシコ」のユリカくらいまで行ってしまえばまた別だけど)。