●なんとか用事は終わった。期限には間に合いそうだ。終わった時には既に六月一日の朝になってはいたけど。
●まったくたまたま見つけたのだけど、松崎有理という作家のホームページに小谷元子という数学者のインタビューがあって、そこで散歩について面白いことが言われていた。
≪――数学的発想法について、おうかがいします。どんなときにアイデアが出てきますか。
「散歩中です」
――風景など、視覚情報がじゃまになったりしませんか。
「まわりはみないんです。ただ歩行の刺激がほしいだけ。
毎日徒歩で通勤していますが、同じルートなので気を取られることも少ないですし。
そうそう、ほかの数学者のかたも、散歩がすきなひとは多いですよ。
エクスカーション(=学会などで企画される小旅行)でも、
みんな景色なんてみてませんから」≫
http://yurimatsuzaki.com/sciencewomen/motokokotani.html
数学者は、散歩が好きだけど、風景は見ない、というのは面白いと思った。いや、「数学者は」というのは雑な括りで、それはどうでもよくて、「風景は見ないのに、散歩は好き」という、そういう散歩のあり様があり得るというのが面白い。風景は見なくても、外を歩くという行為それ自体が、刺激としてあり得る、と。
自分のことを考えても、ほとんど風景を見ていない時もある。見てはいなくても、ある構造をもった空間の中にいて、そこを移動しているという感じはある。その空間の構造と自分の位置を、意識はしていなくても、感じてはいる。そして、歩くという行為そのもののことも、意識はしていなくても、感じてはいる。