●午前中や夜中に点けっぱなしにしておくことはあっても、これを観ようと意識的にテレビ番組を観ることはほとんどないのだが、今日は久しぶりに「世界ふれあい街歩き」を(たまたまだけど)観た。磁器口という名前の中国の古い街で、高台にあって、ひたすら迷路のように細い坂道が交錯している。車やバイク、自転車すらもまったく入り込めない不便な場所であるがゆえに、古いものがそのまま保存されているような地域。町並みも、建物も、人のたたずまいも、いかにも中国の古い街という感じなのだが、飲食店の店先にいきなり液晶テレビがあったりするのが面白い。
ぼくは、坂道、斜面、階段、高低差、そして、交叉したり蛇行したりする道などを見るだけですごく高揚してしまうので、凝視してしまう。こういう絵が描きたいと思う。こういう風景を描くのでも、こういう空間−構造を示す地図や図面のような絵を描くのでもなく、それを観ることで、こういう場所を歩く時の感覚が惹起されるような絵を描きたい。登ったり、下ったり、重心が移動し、角度がかわり、右に曲がったり、左に曲がったり、道が狭くなったり、急に開けたり、思わぬところで思わぬものに遭遇したり、早足になったり、立ち止まったり、しゃがんだり、背伸びしたり、くしゃみしたり、そういう感覚が、絵のなかで視線を動かすことでわき上がってくるような絵。
庭なのか、道なのかよく分からないスペースにテーブルを出して、朝食を食べているおじいさんが映っていた。坂道ばかりで大変じゃないですか、と問い掛けるナレーター。おじいさんは、もう歳だから、ほとんど外に出歩くことはなく、せいぜい、このまわりを散歩するくらいだ、と言っている。そう言っているおじいさんのいるテーブルの前の壁に、大きな中国の地図が貼ってあるのが見える。毎日、この場所で、この地図を眺めるおじいさんの頭のなかで、一体どういうことが起こっているのかに、とても興味がある。